第87回 羽村相互診療所
たんぽぽの会 遠藤洋一さん
透析と二人三脚で
議員活動に奮闘しています
今回の「会員さん訪問」では、東京都福生市で市議会議員を務める遠藤洋一さんを訪問しました。
大きな体で政治の事、病気の事を明るくユーモアを交え屈託無く話していただきました。
―まず、市会議員としての経歴をお話しください。
遠藤 私は大学中退後、雑誌記者をしていた30歳の頃に、友人の住むエジプトに一年間ほど渡り、今後の自分の人生を考えました。
もともと私はベトナム戦争を始めとする米軍のあり方、また、日本に君臨する米軍基地に強い疑問を持っていたので、今後の人生の中で米軍基地の問題に取り組もうと考えました。
私は北海道の出身ですが東京で学生時代を過ごしたことと、横田基地のお膝元という事で
1979年、地縁も政党の推薦、支援も無い福生市市議会選に無所属で「米軍横田基地のウォッチング」を公約に立候補し、当選できました。
初当選から24年、北海道から沖縄までの米軍基地をまわり、基地問題に取り組む傍ら、福生市の市議活動に奔走してきました。
―透析はいつから。
遠藤 41歳の時、なんとなく体がだるいという自覚症状があったので検査を受けたのですが、すでに高血糖、高血圧でおまけに眼底検査では網膜が剥がれかかっている事までわかり、すぐにレーザーでの光凝固手術を受けました。
当時の私は110キロの巨体でよく食べよく飲んでいたので、今から思えば当然の結果かもしれませんが、市議会議員として10年の年月を送り、やっと波に乗ったと自負していた私にはやはり辛い診断でした。
議員生命にもかかわる事なので一念発起し2年間で20キロを減量し、血糖値も正常値近くまで下げる事ができて糖尿病は克服できるのでないかと感じていました。
体調の良さも手伝って糖尿病を抱えながらも基地問題に全国を飛び回っていたのですが、尿蛋白の数値が顕著になり、改めて検査を受けた結果、糖尿性腎症で近い将来の人工透析の導入を告げられました。
クレアチニンが13になるまで頑張ったのですが、ついに肺に水が溜まり1996年にシャントの手術に至ってしまいました。シャントの手術後は覚悟を決め透析に関する医学書を読みまくりましたね。
―透析導入時の心境は?
遠藤 シャントの手術後、一週間ほどで導入となったのですが、医学書を読んだ成果というか、頭の中には透析に関する知識が詰まっていたので精神的な打撃は少なかったと思います。
ただ、針の太さには怖じ気付きました。 導入の入院中には市議会が始まったのですが、病院から議会に通うこともできましたし、不均衡症候群などの症状も無く、比較的に楽な導入でした。
ただ、一つ問題がありました。
それは透析中に眠ってしまうと血圧が極端に下がってしまう事です。
160位ある血圧が110以下になってしまうので、眠ってしまえば命の保障は無い、何が起こっても透析中は眠ってはいけないとのお医者様のきついお達しがあり、どんなに疲れていても、眠ることのできない自称、冬山登山透析を継続しています。
実際に議員活動で疲労している時など透析中に眠りたいと切望するのですが、眠さを堪えているのが現状です。
―透析導入により議員活動に影響はありましたか?
遠藤 私は月水金曜日の夜間透析を行っているために、月水金曜日夜間の会議等の活動には参加できなくなりました。
そのために私の目標とする市民運動、平和活動が半減したことは否めません。
しかし、私のように限られた時間の中でしか活動できない市議会議員がいる事で、他の議員仲間の透析患者、障害者に対する理解が深まったと実感しています。
実際に、いつも延長していた会議が私の透析の時間を考慮して予定時間の五時までに終わるように進行するようになる他、透析内容など全く知らなかった仲間が透析に対する興味を示してくれるようになりました。
福生の市議会議員には私の他にもう一人、透析患者がいますし、支持者の方々やその家族にも透析患者は大勢います。
また、他の障害を持った大勢の市民の方がいる中で私も透析患者として、身を持って本当の痛みを感じています。
透析を行っている以上は活動の時間が制限されますが、今後も福生市や他の基地問題で揺れる街に飛んで行くという姿勢を貫く覚悟は変わりません。
―東腎協への要望はありますか。
遠藤 今や透析患者は23万人を越え国民病ともいえる中で透析患者への情報が不足しているために知識不足の患者が大勢います。
特に初期患者に対する学習を実施している医療機関など僅かしかなく、体重増加や食事制限に悩んでいる人が大半だと思っています。
また、多くの透析病院での実情は専門以外の医師による診察や、知識、理解のないスタッフが患者に接しているということです。
透析患者を取り巻く環境は決して充分とはいえません。
この状況を打開するためには東腎協の運動が不可欠ですが、現在のような任意団体ではアピール力に欠けてしまうのではないでしょうか。NPO取得も一つの手段だと思います。早く、行政や世間に対し影響力のある組織として確立する事を望んでいます。
〈あとがき〉
20数年間、変わらずに米軍基地問題に取り組む遠藤議員の姿勢には強い信念を感じました。
今後も障害と二人三脚の活動に期待が膨らんでいます。
(取材・小野、小川 写真・軽部)
東腎協2003年7月25日 No.149
最終更新日:2003年8月27日
作成:K.Sasaki