血液透析を長期間受けていると、透析アミロイドーシスのために、身体の様々な部分にアミロイドの沈着が 起こってきます。整形外科領域では、とくに関節滑膜、腱、靱帯や骨に沈着します。その結果、手根管症候群、肩インピンジメント症候群、破壊性頚椎症や骨関節の障害が起こります。
これらの疾患の中で、もっとも良く知られているのは手根管症候群で、手根管内の腱滑膜や屈筋腱にアミロイドが 沈着して発症します。すなわち、アミロイドの沈着により手根管の相対的狭小化がおこり、手根管内圧が上昇して 手根管の中を通過している混合(知覚と運動)神経である正中神経が圧迫されるのです。
その結果、知覚神経の障害として親指、人さし指、中指と薬指の親指側半分がしびれたり、運動神経の障害 として親指の付け根の筋肉が痩せて、力が入らなくなります(図1)。
また、夜間や透析中に手指のしびれが強いために睡眠が障害されたり、あるいは透析を中断せざるを得なくなる 人もいます。日常生活動作では、ボタンをかけにくい、小銭を掴みにくい、箸を使いにくいなどの運動機能障害が起こってきます。
そして、患者さんが手指のしびれを訴えた場合、主治医の先生方は、手根管症候群と考え整形外科医を紹介してくれます。整形外科医は、このしびれの原因が手根管症候群か、あるいは破壊性頚椎症による神経根や脊髄症状かを神経伝導速度やMRI等を使用して正確な診断を下し、手根管症候群であれば手術を行う事になります。
しかし、手根管症候群以外にも手指のしびれ感や脱力を来す疾患がある事を、透析を受けている患者さん自身が知っておく必要があります。これからお話しする肘部管症候群です。
この肘部管症候群という疾患も、手根管症候群と同様に透析を受けていない人にも起こりますが、その頻度は 手根管症候群に比較して低く、広く世の中には知られていません。
私は、1995年に、USE systemを用いた 肘部管症候群の手術を行って以降、日本関節鏡学会および日本透析医学会にも報告してきました。しかし、残念ながら透析関係の医師の間でも本症候群は、まだ広く認識されているわけではありません。そのため、本症候群と気づかずに適切な治療を受けていない患者さんも多いのではないかと思われます。患者さんには肘部管症候群という疾患を正しく理解していただき、万一罹患した場合には、早めに適切な治療を受けるようにしていただきたいと考えます。
私は、1980年代の中ごろより透析患者さんの、手根管症候群、肩インピンジメント症候群、アミロイド骨関節症などの整形外科的疾患の治療を行ってきました。そして、これらの疾患群には以下の共通点があることに気付きました。すなわち
「滑膜様の組織と靱帯が患部に存在すること」
「透析を受けているためアミロイドの沈着が起こること」
「周囲が骨と靱帯により囲まれている腔間の中を神経や腱が通過している解剖学的な特徴があること」
「整形外科的な治療としては、靱帯を切離して臨床症状の改善を図ること」
です。
そこで、私は1991年第36回日本透析療法学会で、このような疾患群をSLACS(スラックス:Synovial‐Ligament‐Amyloidosis
Complex Syndrome)と呼び、一つの共通した概念で説明できるのではないかという提唱を行いました。
この疾患概念を基に推測すると、肘部管症候群も長期血液透析患者さんに発症する可能性が大きいのではないかと考えられました。
肘の内側には、尺骨神経が通過している肘部管があります。手根管と同様に強固な骨とオズボーン・バンド(靱帯)により構成されています。
皆さんも顎に手を当て頬杖を長時間ついた後に、小指と薬指(薬指)の小指側半分にしびれ感を感じた事があると思います。
これは、肘部管部で尺骨神経が圧迫されたためです。肘部管症候群に罹患するとこのような症状が継続します。肘部管部にアミロイドが沈着すれば、尺骨神経が圧迫されて肘部管症候群が発症するのです。
この尺骨神経も正中神経と同様に混合神経です。したがって、臨床症状には、知覚神経と運動神経の症状があります。
知覚神経の症状として、小指と薬指の小指側半分に しびれ感や知覚鈍麻などの障害が起こります(図2)。
しかし、手根管症候群のような強いしびれや痛み、また、症状が夜間や透析中に強くなると言うような事は無いようです。そのため、何となく指にしびれがあるが、経過を見ているうちに神経の圧迫が継続して、小指や薬指の第2関節(近位指節間関節)が伸ばしにくい、 あるいは握力が低下する等に気がつきます。
この時点で、手の甲側から眺めた場合、手の骨と骨の間の筋肉が痩せて、その結果、 甲に溝がついたように凹んで見えます。
具体的な症状としては、親指と人さし指の間で物が掴みにくい事です。手根管症候群の臨床症状と似ていますが、手根管の場合には、親指の付け根の筋肉が痩せたために物が掴みにくくなり、一方、肘部管症候群の場合には、人さし指の付け根の筋肉が痩せたために物が掴みにくくなります。また、薬指と小指の二番目(近位指節間関節)の関節が伸ばしにくく、いわゆる鷲手変形をおこします。
診断は、
などにより総合的に行います。
従来、肘部管症候群の手術は、肘を中心に全長15*$8424程度の皮膚切開を加えて、観血的に尺骨神経の 除圧・剥離(図3)、神経を前方に移行、あるいは、肘の骨を削り尺骨神経への圧迫を取り除くなどの方法が行われてきましたが、手術侵襲は大きく、患者さんの負担は大変なものでした。
また、手術後には肘関節を90°に曲げた位置で2〜3週間固定するなど、シャント側発症の症例においては、 手術を行う事の困難さに加えて、術後の透析の問題も大きく、たとえ臨床症状が存在しても手術を行う事は躊躇 されました。
私は、1995年以降、USE systemという内視鏡を用いて、局所麻酔下に空気止血帯を用いる事なしに、肘部分の1cmの皮膚切開から尺骨神経の完全除圧を行っています(図4)。
術後の固定は行いません。手術創は1週間で治癒します。
肘部管症候群も手根管症候群も、神経が障害がされることにより、しびれが起こり、また筋肉がやせて 運動機能に障害がおこる疾患です。両者は臨床症状は似ていますが、その術後経過は全く異なります。
一般に、神経の回復は1日に1〜2mm程度と考えられています。手根管症候群の場合は、神経の障害部位が手首で指先まで150mm程度ですから、手術後の回復には最長150日程度を要します。
一方、肘部管症候群の場合には、神経の障害部位が肘で、指先まで500mm程度あります。したがって、手術を行っても手の中にある筋肉に運動神経が回復して到達するまでに250〜500日程度を要する事になります。そのため、障害から手術までの期間が長ければ神経が回復するまでの間に筋肉が駄目になり、筋肉の機能が回復しない症例もあります。
したがって、病気の初期に正確な診断を下し、尺骨神経の剥離術を行う必要があります。
現在、USE systemを用いた内視鏡手術は一泊入院で行っていますが、将来的には、手根管症候群と同様に外来手術になると考えています。
東腎協 2002年5月25日 No.143
最終更新日:平成14年7月13日
作成:Sasaki