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「だれかいい人いないですか」 | ||
小 関さん(全腎協副会長夫人) | |||
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「すれ違うとき、お互いにビビッと」 | ||
中 村ご夫婦 | |||
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「二日前に透析、でも勢いで」 | ||
吉 田ご夫婦 | |||
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「ミレニアムイベントがきっかけ」 | ||
糸 賀(東腎協会長) | |||
軽部 今日は、「私が結婚を決めたとき」という題でお集まりいただきました。皆さんの出会い、苦労話、それからこれからの方たちへのアドバイスなどをお話ください。よろしくお願いいたします。
軽部 小関さんからお願いします。小関さんのご主人は全腎協の副会長で、残念ながら今日はたまたま体の調子が悪く、奥さまだけの出席ですが、奥さまはCAPDをなさっているということですね。
小関 五四年に、埼玉で血液透析に入りまして、主人は千葉県腎協の会長をやってたんですね。私は、埼玉で会のお手伝いをやっていて、会長代行の山本さんが、「結婚しないのか」、「いや、したいんですけど、相手がいないんですよ。だれも声掛けてくれないんですよ」。などと軽く言ってたら、全腎協の会合で、主人のほうもやっぱり「だれかいい人いないですか」というアプローチはしてたらしいんですね。ということで、二人を結び付けてくれて、トントントンと一緒になっちゃったんです。
軽部 知り合ってから、割とスムーズに。
小関 そうですね。お互いに「相手いないかな」と探してたから、何の支障もなく。今日ちょうど結婚記念日なんです。今日で12年目です。
軽部 次に、中村ご夫妻。結婚が平成11年12月3日ということで、まだホヤホヤというところですね。(笑)青年部などへの、参考になるかと思いますので、お願いします。
中村勇 たまたま同じ職場で働いてまして、初めてのデートで「実は透析してるんだ」と言いまして、いささかびっくりしたようですけれども、義理のお兄さんが、全腎協の役員をしているということで、その関係のボランティアをしてたみたいなんです。二、三度デートをして、いろいろ話をして、一緒に住んだのは11月の中ごろだったんですけれども、12月3日に二人だけで結婚式をして、それで入籍をしました。
中村民 私は、スーパーの品出しをしてて、出入口で、すれ違うときにお互いになんかこう、松田聖子じゃないですけど、ビビッと。初めて透析のことを聞かされて、すごく感動して、結構大変だということで、それなのに明るく一生懸命仕事をしてて、「えっ?透析してたんですか」って感じでびっくりしたのと、「偉いな」という感じと。それで、何回か付き合って結婚しました。
軽部 次に吉田さんご夫妻お願いします。
吉田季 私の友達が主人と同じ会社に就職して、それで紹介という形で、最初はグループで、そのうちなんとなく二人で会うようになって、それで五年間ぐらい付き合って、それで結婚しました。まだ付き合っているときは透析してなくて、結婚と同時期ぐらいに導入したので、結婚を決めたときにはまだ透析はしてなかったんです。
軽部 ご主人は透析を?
吉田季 いえ、健常者です。みんなで海に行ったりドライブ行ったりしてるうちに、なんとなく二人で会ってという感じです。
軽部 結婚しようというところで透析に入っちゃったんですね。
吉田季 結婚式の二日前が初めての透析だったんで、ご両親に紹介してもらったときとかは全然透析の話は出てなくて。だから、ご両親に言ったのは、結婚した後です。
軽部 透析ということが分かってたら、どうなったか分からなかったですかね。
吉田季 どうですかね。
吉田俊 そこは分からない。そうなってみなきゃ分からないですね。
吉田季 もともと、若年性の糖尿病を持っていて、ご両親のネックにはなったみたいですけど、「自分が選んだ人だから」と許してもらって、だから、透析のことはまだその時点では分からなかったから、結婚の障害には特別なってなかったんです。
木村 結婚二日前は大変でしたね。
吉田季 もっと先だと思って、シャントもつくってなかったんですけど、なんか忙しかったりして、急にクレアチニンとか上がって。だから、直接穿刺で、その病院の先生とかすごい気を使っていただいて。
木村 ご主人はそれをお聞きになって、どうしようかとか迷わなかったですか。
吉田俊 やっぱり慌ただしいときだったし、なんだか勢いでいってしまった感じがしますね、今思えば。
吉田季 そのときに、透析の病院に付いて行ってもらったのも主人で、それで、先生の説明も主人が受けて、私の両親にも式が終わった後で「実は透析になりました」ということを言ったんです。
透析になる前に、入院とかしてたので、それで慣れたと言ったら変なんですけど、多分、徐々にそういうふうに付き合っているうちに、分かってきたんじゃないかと。
「周囲の反応は」
軽部 皆さん、それぞれタイミングがいいときに出会ったんですね。
小関さんのところは、両方で透析をされてて、結婚されていますが、まだまだ結婚するというのは当人だけの問題ではないと思いますが、家族とか、親せきとか、その辺ではどうだったんですかね。
小関 私のほうは「もらってくれるんなら」ということだったんですけど、ただ、主人のほうのお母さんはちょっと心配したらしいんですね。患者が二人になるので。だけど、「それぞれの家族が一人づつを支えてきたが、今度は二つの家族が二人を支えてくれる」と主人に言われて「そうだな」ということで。私が具合悪くして入院すると、母も一緒に来てくれていろいろやってくれるし、まるで自分の娘のように、女の子がいないから、娘が出来たということで。その点は本当、良かったです。
軽部 中村さんのところは、先ほど、奥さんのお兄さんが全腎協のほうにかかわっているということで、全く透析に関しては知らないということではないんでしょうけれども。
中村民 ええ。透析自体は、私もはっきり言ってよく分からなかったんですけど。
うちの母親も姉も、最初は、ちょっと心配してましたが、でも、私自身が一生懸命明るく生きていけるんだったらそのほうがいいというので、自分がそれでいいんだったら頑張りなさいと、応援してもらいました。
軽部 ご主人にとっては、奥さんやご両親とか周りの方にそれを理解してもらえるということは、非常に恵まれた環境ですね。
吉田さんは、奥さんが糖尿病ということで、周りでは特に心配はなかったですか。
吉田俊 やっぱり反対はしたようなんですが、両親とずっと離れて暮らしてたので、あんまりそういう声も聞こえてこないし、という感じだったですね。今はもちろん透析してることも知ってますし、親せきの人も知ってる人もいますしね。一緒に旅行なんか行ったりして、普通に接触できています。
吉田季 紹介してもらったときは、手紙とかで「糖尿病でちょっと腎臓が悪くて」というふうに言ったもんだから、お兄さんとかが「いや、ちょっと」と思ったらしいんですけど、実際にご両親にお会いして、元気で暮らしてるんだということが分かってもらって、それで親せき一同で旅行が好きなので、うちの両親とかも一緒に行ったりして、それは本当に普通に付き合っていただいているというか、特別な感じではないですけど。
※(ここで糸賀氏が座談会に加わる)※
軽部 次に東腎協の会長をやっている糸賀さん。今日は、奥さんがまだ仕事中だということで、出席できませんが、糸賀さんも今年の初め、本当に2000年の1月1日に入籍されたのですが、そこまでの出会いなど、その辺からお願いします。
糸賀 僕らは板橋難病連絡会を四年前に作って、僕はその副会長をやって、彼女は会計をやっているんです。それは年もだいぶ離れてるし、僕も東腎協の会長で忙しいので、最初は、もう籍は入れないでそのままでいこうという話もあったんです。でもちょっと無責任な感じもあるし、向こうも膠原病の全身性エリトマトーデスを15歳ぐらいに発病した人なんですね。やっぱり、けじめを付けなきゃいけないという話になって、そのうち、板橋の広報『板橋』を見たら、ミレニアムのイベントがあるというわけで、これがいいかなと、なんかプレゼントをもらえるという話もあったのでね。(笑)
そういうきっかけでもないと、僕もちょっと決断しなかったと思うんですね。ミレニアムのあのとき、80組ぐらい来てましたかね。11時ぐらいから、結構いろいんな人が集まって、コンサートがあったり、甘酒が出たり、焼きそばが出たりして、零時になって、テレビも3局ぐらい来てましたけど、もうテレビは出る人が決まってるからね。やっぱり外人の方と結婚した人のカップルとか、僕ら難病カップルは隅のほうにいました。(笑)
僕は結構悩んだんですよね。何たって50歳でしょ。透析は28年もやっててね、年の差もあるし。冒険かもしれないけれども。「おれが先だ、わたしが先だ」と言いながらやってますけどね。「僕が死んだら、おまえはもう一遍結婚できるんだよ」といつも言ってるんですけどね。
軽部 奥さんのほうのご両親は、糸賀さんの透析してるということに関しては。
糸賀 透析と、年の差ね。お父さんは「おまえが決めた人ならいいんじゃないの」というようなことを言ってたよという話は聞いてますけどね。僕も東京に来てからずっと一人暮らしで、うちの両親はもう十何年前に亡くなって、簡単に言うと家族が欲しかったんだね。だから、お父さん、お母さんと話しててもホッとするんだよ、なんか。そういうことがプラスになったかもしれないね。
「結婚後の生活は」
軽部 皆さん結婚するまで、それほど苦労や障害はなかったようですが、結婚された以降の生活の中で良かったこと、それから、ちょっとこれは想像してなかったというようなことがありますか?
小関 いや、あんまり不都合なことは。これから出てくるかもしれないんですけどね。主人のほうが透析24年、私が20年、だんだん、あっちこっちが痛くなってきてるから。致命傷とかそういうことで入院したらどうなるかなとは思うんですけど、でも、それまでの間が楽しければいいやとお互いに言ってますから、充実して生活できれば。
ただ、ちょっと子供がいないのが寂しいかなと思うけど、これで子供がいたら大変だなとも思うしね。二人で仲良くやっていればいいやということで。
軽部 中村さんのところはまだ結婚されて短いんですけれども、お付き合いのときと実際に生活してなんか感覚が違うようなところとか、困ったこととかありますか。
中村勇 別に困ったことはないんですけど、逆に今までは自分ずっと一人だったもので、朝御飯食べなかったんですね。一緒になって、朝昼晩とちゃんと食べるようになって、「透析してる患者は太れない」と言われたんですが、1.3キロぐらい、体重増えたんです。それがメリットになりましたね。
軽部 奥さんのほうはどうですか。
中村民 よく患者さん同士で一緒に旅行に行ったりするとき、やっぱり同じ病気の人同士では分かるんでしょうけど、でも、やっぱり私はどこかでちょっと分かってあげられない部分がある。これからは、いろいろな話を聞いて一緒に過ごしていて、彼を見ていて、少しずつ分かってあげられるように努力していかなきゃなと思ってます。
軽部 吉田さんのところは?
吉田季 生活していく上で、普通の人と違ったところとかはそんなにないんですけど、知識としてちょっと、塩分は駄目だとかカリウムが多いものは駄目だとかあるものですから、果物とか食べたりすると「食べ過ぎだ」とか「そんなに飲んでいいのか」って、(笑)だから「もう、いい。いいんだ」と、それがちょっとうるさいかなというぐらいです。
糸賀 お互いに病気のことを本当に理解するということはまず不可能ですよね。「なんでおまえ結婚したんだ」、「いや、私、透析のことよく分からなかった。分かってないで結婚しちゃったかもしれない」なんて言ってたよ。「そうなんだよ、大変なんだよ」っていうことなんですけど。まだ三カ月、でも三カ月、四カ月、半年、一年がなければ五年も一〇年もない話なわけだけれどもね。
軽部 子供さんなんかについては話したりとか、心配とか、そういうことはないですか。
中村勇 自分は欲しいのは欲しいんですけれども、遺伝があるんじゃないかという心配がありまして、つくりたくはない。
軽部 奥さんのほうは?
中村民 欲しいんですけど、やっぱり彼が、生んでみないことには分かりませんけど、もしも自分と同じような病気を持ってしまったら、やっぱり水分制限したりとか、食べ物制限したり、毎日苦労しているので、だから、そういう思いはさせたくない。だから、できればつくりたくないということで、それはちょっと、いろいろ二人の間では問題になっているかな。まだ、最終的には結論は出てないんですけど。ですから、いろいろ話があったら参考にして、考え中ですね。(笑)皆さんに「こうだよ」ということがあれば、考えてみたいと思うんですけどね。
軽部 吉田さんのところは。
吉田季 もう結婚するだいぶ前から、私は糖尿病は T型って、IDDMという糖尿病なんで、遺伝は一応のところはないとされているんですけれども、やっぱりそっちのほうも心配だったし、後、タンパクもそのころもう出てたので、結婚する前にも子供はつくれないということを言ってましたので、結婚する時点では、子供はつくらないということを納得してもらって結婚しました。
そして私も主人も兄弟がいるんで、自分たちに子供は出来ないけれども、その兄弟のおいっこ、めいっこをかわいがろうということを話して、結婚のときはそれは納得して。
東腎協事務局にて座談会中 |
軽部 透析をしている若い人にとって、皆さんのようにいい出会いでゴールインできればいいんでしょうけど、自分が透析だからということで、アプローチしにくいようなところが、あるんじゃないかなと思うんですよね。そういう人たちにとって、参考にしてもらいたいので、何かアドバイスを、一言ずつ、話をしてください。
小関 自分の殻の中に閉じこもってても駄目だと思うんです。チャンスというのは、向こうから来るということは少ないと思うんですよね。私も主人も「だれかいい人いたら、紹介してよ」と、だから、こういうチャンスに恵まれたと思うんだし。今「結婚したいんだけどな」ってグジュグジュやってるんだったら、行動したほうがいいと思います。
中村勇 病気に負けずに明るく元気にやって、「僕も透析してるんだ」とか、隠さないで言って、いろんな人とお付き合いしていったほうがいいんじゃないかと思います。
中村民 最初に、病気のことを隠さないではっきり「僕はこういう体なんだけど」と言ってくれて、後は一生懸命になってくれた。病気だからと引かないで、この人と思ったら直進したほうがいい(笑)と思います。
吉田季 やはり、病気のことを相手に分かってもらうということが一番。だから、調子いいときもあれば悪いときもあるわけだから、悪くなったらこうなるんだよということも含めて全部。もう結婚となると一生の問題ですから、やはり病気を理解してもらうということが一番大切じゃないかなと思います。だから、怖がらないで、どんどん、透析しててもこういうこともできるということもアピールして、どんどん独身の方は付き合いを広げていけばいいと思いますけど。
吉田俊 病気があるないにかかわらず、結婚できない時代に来てますからね。よっぽど積極的にいかないと難しいだろうなというふうには思います。
軽部 糸賀さんは東腎協の会長として、若い青年部に対して何かアドバイスを。
糸賀 僕らが透析を始めたときと今は全然違うわけでしょ。ましてや、平成から始めた人なんかね、非常に医療技術も素晴らしく進んでるし、透析をやって30年過ぎる方がどんどん増えてきます。ただ、病気から学ぶということは非常にあるんですよね。「病気が自分を育てる」という言葉が僕は好きで、みんなに言ってるんです。病気というのは非常に人を優しくする。あるいは、人を愛するというような心も出てくるわけだしね。慈悲深い心も出てくるわけだし。自分を変えていきますよね。だから、さっきからみんなが言っているように、ネバー・ギブ・アップじゃないけど、諦めないということです。僕のことが分かれば「あいつ、50過ぎて結婚してるんだよ。おまえなんか、まだまだ十分だよ」っていうのがあるから、(笑)もう「はい、このとおりです」って若い人に言いますよ。
問題は、もう結婚だとか何とかというよりは、ライフスタイルの問題だからね。そして結婚したら責任をきちんと取りたいし、そのためにも一日でも長く一緒に生きていけるようにしたいということは思ってますね。扉を叩いていけば、いつかは開くと思うんですね。
軽部 ありがとうございました。結論としては、皆さん、透析患者だからとかじゃなくて、やはり一般の人と同じですね。皆さんはいいタイミングで、それぞれチャンスをものにされたわけですけども、それを若い人たちがちょっと参考にしていただければと思います。
また、これからも東腎協と患者会にご協力いただければと思います。本当にありがとうございました。
最終更新日:平成13年7月28日
作成:Tokura