リレーエッセイ・146

失われた30代を取り戻そう


東腎協常任幹事 戸倉 振一
 
(森山病院友の会)


 小学校の高学年で剣道を始め、宮本武蔵にあこがれた。高校はサッカー部で、チームプレーを学んだ。社会人になってヨットを始め、自然の雄大さや厳しさ、人間のちっぽけさを知った。出航に際しては、最悪の事態を想定した事前の準備やイメージトレーニングが必要であることを学んだ。海は簡単に人の命を奪った。世界的なベテランヨットマンでさえ例外ではなかった。一瞬の油断が命取りとなった。実は私も一度強風と高波の中、波にさらわれ落水した。奇跡的に一本ロープを握っており、それに引きずられながらも自力ではい上がり命拾いした経験を持つ。今の私はこのような経験の上に成り立っている。
 
 さて、腎臓病との付き合いですが、32歳に腎不全と判明した。栄養士の指導を受け、食品交換表をパソコンに入力し厳密な食事療法を続けた。クレアチニン4r/dlを6年維持した。これまでの過激な生活と変わって、この間、歩く以外の運動はできなくなった。仕方無く休日の趣味として園芸を始めた。自分も草木も生きているということを強く実感した。
 
 仕事は橋の設計だった。遣り甲斐があり楽しくもあったが、責任の重さにストレスも強かった。食事療法でなんとか頑張りたかったが、38歳で力尽き透析導入となった。導入後は食事の制限も緩くなって食べられることを幸せに思った。運動の制限も無くなり、週1回休日に1q泳ぐ習慣をつけた。見る見る体力が回復していった。失われた30代を取り戻そうと思った。
 
 患者会との関わりは、社会復帰のため夜間透析に変わった時、そこの会長さんに大変世話になったことによる。今どきの日本にこんなに人のことを思いやれる人がいるのかと感動した。その方がどの患者会でも後継者がいないことを嘆いていた。少しでもお役に立てればと、お手伝いをさせて頂いた。
 
 昨年は常任幹事に推薦された。常任幹事会では、これまで会を支えてきた長期透析者が懸命になって活動していた。今のうちに世代交代をしなければ、これまでの経験が生かされなくなるであろうと思った。これは緊急の課題だと思った。まだ解決しなければいけない問題はたくさんある。
東腎協 2003年1月21日 No.146

最終更新日 2003年5月24日
作成:MINATO