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東腎協No.138 なかまのたより一般投稿


「書」と透析生活

立川相互腎クリニック希望会  長泉 美子(雅号桑庭)

私は、腎不全の通告を受けてから、5年間位の食事療法を行いました。特に末期の1年間は、地獄のような日々でした。
昭和大学病院藤ヶ丘の出浦教授を訪ねて、「どうか私を助けてください」と、診察を依頼したのです。突きつけられた食事は、1日蛋白質20グラム、1800カロリー、塩分5グラムと言う指示でした。
毎日、毎日、計算、計算でした。これをやれば治る病気ではないことも知らされているのに、どうして自から、厳しい道を選ぶのか?わからなくなっていました。
やるだけのことをやるのが、私の生き方と決め、来る日も来る日も食事のことで頭が一杯でした。
それがある時、ハッと気がついたのです。病を嫌い、追い払うことのみに気を使い、本当の自分を見失っていたのです。
「先生、私わかったんです。この病気と仲良く生きれば良いのですね…」

「その通り長泉さん!よく理解出来ましたね。貴女は今日からもう大丈夫。たくましく生きられますよ」とのお言葉でした。

それからの私は見違えるように変わりました。
子育て中から学んでいた「書道」が実は自分をささえてくれ、生き甲斐だったのです。透析生活2年半になりますが、書道の塾を休んだのは導入時の1ヵ月だけです。
その結果、この2月初旬、上野の都立美術館で行われた、東邦24回展(読売新聞社共催)において、文部科学大臣賞を受賞することが出来、この上ない喜びとなりました。
仲間や先輩方からも、透析をしながら「書」を続けていたことに対する応援の思いからバンザイの声が起こりました。

現在通っている立川相互腎クリニックの皆様のお陰で、何事もなく楽な透析生活を送らせて頂いて、感謝に耐えません。ありがとうございます。

作品はふすま3枚位の大作で、体力、気力が必要でした。それも乗り越えることが出来、やれば誰でも出来る。

透析をしていても病人にならない。感謝を忘れない。を心に秘め、これから先も、ああ、いい人生だったと言えるよう、今を生きます。
一生懸命….


臓器提供意思表示カード 500組を配りました

荒川腎友会 矢田 暉子

荒川腎友会は、クロス連合会まつり(12月10日)で、バザー開催と臓器移植推進キャンペーンとして臓器提供意思表示カードを配布しました。

午前10時〜午後3時まで参加者は約200名位でした。連合会の各団体のお手伝いの方々が60〜70枚ほど持っていってくれました。

 また、「アクロスあらかわ」の2階の喫茶店(アクロス)には東腎協ポスターを貼りました。そして、意思表示カードとティッシュのセットを100組程置いて頂き、お客様に持っていってもらいました。

最近では臓器提供意思表示カードを見せますと、「私、いつでも持っています」という方が大分増えました。私たちもただ配るのではなく、カードの記入の仕方等、説明をしながら配らせていただいております。

会場が狭いため、人でごったがえしておりました。手元には、カードがまだ残っています。喫茶店アクロスに置いてあるカードが少なくなりしだい補充いたします。


患者会の皆と初詣へ

牧田友の会  早坂喜久江

牧田友の会が出来ましてから、3年と数か月になりました。牧田総合病院の若狭先生をはじめスタッフの皆様には、お忙しい中を何かとご協力を頂き感謝しております。

患者会では初めてになりますが、初詣に行ってきました。お天気は良かったのですが、天気予報は夕方から雪になるとの予報で底冷えのする寒い日でした。おおとり神社へ詣でて、入院をしていて参加出来なかった仲間の分もお参りをして来ました。

お参りの後は、近くのお店に入り昼食をとって、4月にはお花見に行きましょうと話し合いをして、解散となりました。


私のスタート

 調布東山クリニック 山崎 寛司

 2001年は巳年である。私は60歳になり、年男になる。新聞の記事によるとこの年齢の方は全国で183万人いて、日本の総人口の7パーセントに当たるという。節目が向こうからやって来た気分である。

平均寿命が延び、大抵の人が退職後20年、30年と生きなければならなくなってしまった。われわれの大半が「一身にして二生を経る」という生き方を余儀なくされているのである。だれもが人生の達人でなければならぬと要求されているようである。

私は、週3回、4時間拘束の夜間透析をしている。めげそうな苦痛の時間をどれだけ読書によって癒されたことか。自分という人間は、この一度しかない人生をどう高めようとしているのか。あるいは自分は、地域や社会にとって本当に必要な存在なのだろうか。そういう原点を考えねばならない時代になったように思う。

残された時間が10年としても時間が無性に惜しく、いとおしいのだ。

自分の体調を考えると、ひたすら己の為に使い切りたい思いである。

 私は8年前に大病をし、その入院を機に短い感想を書き残す読書手帳ともいうべきものを記録して来た。幸い市立の素晴らしい図書館が近くにあり、全面的に活用することにした。92年20冊、…………100年163冊で、この8年間で806冊の本を読み続けたことになる。

年々読書量が増えたのは自分の時間を生活環境の中から見つけ出したことにある。量が多いことが良いとは思わないが、本との出会いに数々の楽しみと喜びを味わった。そもそも歳をとって暇が出来たら読書三味で暮らすのが夢であった。

 いつもそばに本があることの幸せを感じる。例えば、自分の読書力の向上、文学や哲学、長編に短編、古典に現代、国内外の名著を読破するエネルギーが己の血や肉となり、精神の糧になったと考えている。

時は、待ってくれず、老いは誰の身にも容赦無く忍び寄って来る。つまり人生は短いということである。せめて、残された貴重な時間を大切にしたい。  私のスタートは好きな読書に打ち込むことで生きる歓びとしたい。


みんなの生きる糧に

 遺族 田辺 弘子

拝啓

桜花爛漫の季節となりました。

貴会の会員でありました田辺靖幸(新松山病院友の会)が3月15日に亡くなりました。

生前、夫は、貴会の活動に対し、敬意を持っておりました。また、自分は何もお役に立てなかったと反省もしておりました。

その気持ちの一助として僅かではありますが、カンパを同封させていただきます。

 今後も、貴会のご活躍により腎臓病患者の方々の生きる糧となれば、この上もありません。

 尚、お体をくれぐれもご自愛下され、ますますのご活躍をお祈り申し上げます。  まずは、お礼まで

 敬具。


青年部新年交流会に参加して

個人会員  鈴木 英範

今回、池袋にて新年会が行われました。今まで私は、透析になってから参加すればいいかなって思っていて、お知らせの葉書が来ても毎回「欠席」でした。しかし今回思い切って参加してみようと思いました。

私は透析導入前で食事制限(1日蛋白20グラム)をしているので、自分のでんぷんご飯を持参しての参加でした。料理は、なべ料理や刺身などで、みんなでワイワイしながら食べたので、とてもおいしかったです。

その後、二次会はカラオケ大会で盛り上がり、その後は喫茶店にて透析経験者の方々からいろいろな経験談が聞け、大変楽しく、また勉強になりました。

私はCAPDを希望しているのですが、「実際は大丈夫かな?」「時間的余裕はあるのだろうか?」等の疑問がありました。

しかし今回CAPDをしている方の体験談を聞くことができて、だいぶ不安が解消されました。

このような交流会があり、経験豊かな方々とめぐり合うことができて、本当に心強いと思いました。

これからは積極的に参加していきたいと思いますので宜しくお願いします。

また、参加しようかと悩んでいる方!思い切って参加してみて下さい。必ず得るものがありますよ。

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最終更新日時:2001年6月24日
確認:S.Kisisato