なかまのたより


第30回総会感想文

亡くなった先輩の活動を継続し後につなげること

町屋駅前クリニック腎友会 岡田 光子

 私の病歴は東腎協の30年の歴史と重なるのですが、約30年前18歳だった私は腎臓病と診断されました。24年間の保存期をへて現在透析に入って約6年目です。
 30年前の入院時に同室だった60歳位のご婦人は、透析室で透析を受けてくると、まるで拷問でも受けてきたかのように疲れ切って、その晩は一睡もできずあくる日は眠り続けるといった状態でした。ご家族の話では数カ月で貯金は使いきり、ちょうどその時が命のきれめでした。
 母から「あのようになったら透析に入るのはあきらめな」と言われました。それは死を意味することですけれども、同室だったご婦人の厳しい闘病生活を目の当たりにしているので私も母と同感でした。それ以来、透析について知りたくもない、関わりたくもないと目も耳も閉ざしていました。その間に透析医療は大いに進み、私が透析導入になった時には医療費の助成や福祉面でも充実していることに驚きました。
 これは医療の現場の努力もさることながら、患者の結束による政治への働きかけ、行動力の賜物だとこの総会に参加して改めて認識しました。透析を導入するようになることは不運と思いますが、透析を必要とするすべての腎不全の方がよくここまで手厚い治療をうけられるようになったと感謝しています。
 私のように腎臓病に関わりたくない、病気であることを知られたくない、と閉ざしている患者ばかりであったなら現在の高い質の治療にはなっていなかったでしよう。当たり前の権利と思って受けている透析医療は、亡くなっていった先輩たちがいろいろな方面へ働きかけをし、活動をしてくれたお蔭なのですね。これを継続し後につなげなくてはいけないと思います。
 そして日本の移植医療の現状も充実させていかなければならないと思います。腎疾患を長く取材し広く社会に発信し続けて下さっている、ジャーナリストの松村満美子さんの存在も重要で、ありがたいことだと思います。当日のお弁当美味しく頂きました。幹事の皆様お世話になりました。

個人会員からのたより

河手 雄造さんご家族

上様

 いつも私どものために、いろいろ、お骨折りいただき、心から感謝しております。東腎協、全腎協様の存在はとかくしずみがちな私どもの心に希望の光を与えてくださる存在でございます。
 くれぐれもお体をおいといの上どうかお過ごしくださって、力弱い私どものために、お力を貸してくださいますようにお願い申し上げます。

会員の皆さんから原稿を募集しています。
うれしかった事や悲しかった事、苦しかった事などの闘病記、
患者会の催し、ひとり言やカット、写真などなんでも
気楽に書いて事務局へ送って下さい

短歌

山田クリニック腎友会 水上 清吾

 「紫陽花」

梅雨に濡れ重たげに咲く紫陽花の色香は初夏の訪れを告ぐ

何故かつらき別れのその時は雨にうたれし紫陽花の咲く

梅雨に咲く薄紫の紫陽花を別れの花と吾は名づくる


東腎協 2002年 7月 25日 No 144 
戻る

                                       最終更新日:2002年9月3日
                                                 作成:Asahi