なかまのたより


しっかり考えて行動

松和患者会新宿南口支部

松本 頼子

先日は遅くに、事務所へ電話いたしまして、申しわけありませんでした。少しお話をさせていただきましたが、改めて皆様のおかげで、現在暮らしていることを感謝いたします。

 4年余り前に腰を痛めまして、それなりに、良いと言われる治療を受けましたが昨年10月に手術をしました。まだまだ、ぞろき歩行には程遠いのですが、リハビリを続けています。
 すっかり、お手伝いもできなくなってしまいました。口だけが元気なオバさんで過ごしています。
 私たちはもちろんのこと、大変な世の中になっています。しっかり考え、行動していかなければと思っています(無理かな)。いろいろお話聞いていただきありがとうございました。

基本的知識を取り上げて

個人会員

伊藤 和郎

いつもお世話になり、ありがとうございます。この度は、機関誌「東腎協」・号外をおくっていただき、感謝いたします。

今回の記事は非常に有用な情報満載で、むさぼるように読みました。
 特に、患者・会員さんと医師・先生とのQ&Aの記事が大変役に立ちました。
導入後、4年経過しましたが、なぜ、リン(血清リン値)が高いと悪いのか、高いと何が起こるのかを全く知らなかった私です。このような初歩的(基本的)知識についても、とり上げていただければ幸いです(恥ずかしいお願いですが)。
どうぞ、今後も私どもをサポートしてくださる活動をよろしく、お願いします。ご健勝を祈って。

腰椎すべり症 手術で元気に

にこたま会

押山大作

不安や心配はありましたが、腰の手術を受けて、本当に良かったと思っています。虎ノ門病院分院の三上先生をはじめ多くの方々に支えられ励まされて無事に退院できました。

 3〜4年前から、足の裏に痺れを感じることがあり、靴のせいかなと軽く考えていました。しかし、やがて、腰が伸びなくなり、歩くのが辛くなってきました。我慢して歩いていると、5分もしないうちに両足がしびれて動けなくなる状態でした。

 今年1月、入院をして、ミエログラフィー検査(脊髄造影検査)を受けました。脊髄腔に造影剤を注入して、写真を撮る検査です。レントゲン写真には腰椎の4番目がずれて、脊柱管狭窄が起きていることがはっきり写っていました。(手術まで一時退院、2月再入院)
 2月24日、三上先生から手術の詳しい説明を聞きました。概略は、一、腰椎の狭窄部分の後ろを削り、神経の圧迫を取る。一、チタンのH型の板を腰椎4番5番にボルトで固定する。一、ここに植骨も行う。この骨が着いて、将来、腰椎4番5番を固定する。一、チタンは入れたままで今後取り出さない。一、手術は6時間くらい(実際は8時間かかった)。一、うつ伏せの手術なので、顔を圧迫から防ぐために、3本のピンで頭を空中に固定する、などなど。大手術!

 コルセットをして、杖を使い、手術しない道もある訳で、QOLを考慮して、手術を選択したとこが本当に正解なのか、心が揺れる瞬間もあった。しかし、三上先生に手術をお願いしたいという気持ちがより強くなった。

 手術前日には、麻酔科のドクターや手術室ナースの丁寧なオリエンテーション。一方、担当ナースからは、1週間に及ぶベッド上の安静について説明がある。手術経験者の話では、この安静期間が辛いらしい。耐えられるだろうか?
 平成15年2月26日。6時起床。前日までの漠然とした不安は消えていた。術着に着替えストレッチャーでオペ室へ。前日説明に来てくれた高橋さんが迎えてくれる。予備麻酔の点滴が始まる。「眠くありません。」と答えた直後に寝入ったようだ!
 午後7時。「押山さん!押山さん!分かりますか?終わりましたよ。」麻酔から覚めたと同時に、手術を受けた腰に強烈な痛みを感じた。回復室に戻り家族に会って、無事に手術を終えたと実感。

 術後は仰向けではとてもいられず、30分から1時間おきに、身体を右に向けたり左に変えたり。しかし、自分では動けないので、そのつどナースに体位を変えてもらう。背中に当てる大きな長い枕を用意してくれた。痛み止め「ソセゴン」は6時間おきにしか使えず、ほとんど眠れぬ夜だった。
 翌朝には酸素吸入、心電図のセンサー、両足に巻きうけられていたエアーマッサージ器(血流が滞らないため)が外され少しほっとする。…次号に続く

きちんと仕事して透析へ

個人会員

橋本 良司

今年になって思うことなんですが、何で私は病院関係者の方に「来るのが遅い」等のいやみなどを言われながらも、こうやって、仕事を定刻までして透析にいっているのか? こう考えてみても結局、透析しながらも職場の関係者や医療関係者のおかげでここまでこられたのだと思います。
私は、少しでも透析をしながら働く仲間のため、何かをするために生きているのではないかと思います。しかし、働きながら透析している人達が、仕事を犠牲にしている現実が多々あるようです。

 私が考えるにはこれからは、働きながら透析をしている、または働きたい仲間が、最後までキチンと仕事をして、なおかつ、十分な透析ができる体制にしていくよう、職場だけでなく、医療機関に対しても意識の変化を持たせることが今後の課題だと思います。東腎協の皆さんも、このような視点からの活動もいかがかと思います。

 皆さんの中では、仕事に就いてない方がいると思いますが、『自分は仕事をしてないから関係ない』と思わずに、これからの人達のためにも少しずつでも医療関係者や地元の協議会への働きかけ等をお願いいたします。

 ご意見、ご批判等がございましたら、ご遠慮なく東腎協事務局へお寄せください。


俳句

武蔵境駅前クリニック腎友会

荻原 た可司(85歳)


榾(ほた)煙り避けて離さぬ
          茶碗酒
侘助のふるへ居りたる小枝先
歯は欠けぬ数も忘るる年の豆
穿針(せんしん)の痛さも薬
        春を待つ
針供養命あづける腕の針

 個人会員

溝口 幸夫(82歳)

透析の我生き延びて豆を撒く
春立つと知るかナースの優しくて
春立つや背筋延ばして万歩計
透析におなか空かして春となる
道産子や寒さ吹っ飛ぶ雪祭り

福生病院こでまり会

日置 正吉

爺ちゃんと呼んでかけきて
        日向ぼこ
焼き芋でゲートボールの中休み
翔つ(たつ)鳥は富士真向いや
       枯れ葎(むぐら)
花咲いて透析表の月変わる
犬ふぐりまたぐ一歩を大巾に

短歌

山田クリニック腎友会

水上 清吾(80歳)

戦(いくさ)にて死線をこえし吾(われ)が今
    透析により死線こえたり
夜も深く消し忘れたるラジオより
      昔習いし小唄流るる
春風に乗り来たりしか桜花
   狭き吾家のベランダに舞う


新年号新春プレゼント当選者

三軒茶屋病院腎友会
恩田 朔郎
(透析歴29年10ヶ月1月現在)

  あなたのお便りををお待ちしています。
     旅行記、エッセー、患者会活動へのご意見等どしどしお寄せ下さい。
     宛先 東腎協事務局 編集部へ。


東腎協 2003年5月25日 148


最終更新日:2003年7月13日
作成:Asahi