私が透析を受けるようになったのが、昭和63年7月8日(誕生日)今年の7月8日で丸10年になります。この病気になるまでは身体が丈夫だと思っていました。
ある時、知人の子供の輸血を頼まれて、病院へ出向いたのですが、血圧の検査をしたら、異常に高いので、使用できないと断られました。心配になり、近くの医院で診察してもらったところ、高血圧症状ということで、しばらく通院していました。
けれど、別に異常を感じないので、行くのを止めていたら、身体にむくみが出始めました。これはまずいと思い、医院へ行ったら、都立病院の内科を紹介されました。
腎臓が悪くなっているということで、2年くらい通院していましたが、自己管理が悪く、完全に駄目にしてしまいました。
透析はこの都立病院でスタートしましたが、一ヶ月後には、他の病院に移ってくれとのことで、あわてました。自分では、透析施設のある病院など知らないので、担当医に紹介してくださいとお願いしたしたら、大和病院を紹介され、 自宅から、徒歩で10分くらいの所だったので、助かりました。
その他、透析を受けるにはいろいろのことを知らなければいけないことに気づきました。福祉関係の手続きに関してはカウンセラーに聞き、食事は栄養士にと教えてもらうことが多くて忙しい思いをしました。会社の方も心配になり、相談に行ったら、夜間透析に間に合うよう、配置転換で総務部へと配慮してもらい、恵まれました。
大和病院の第一日目は婦長から、友の会会長を紹介され、入会を勧められました。自由意志だとのことでしたが、医療や福祉関係の情報が早いこと、交流会があるということで、すぐに入会しました。後で、上部団体に東腎協、全腎協の組織があることを知りました。
友の会に入会後すぐ、班長をやらされました。
二年目には、先輩方が大勢いるのにと思いながら、役員になり、五年くらいいろいろやらされてきました。ようやく、一般会員に戻れると、喜んでいたら、今度は東腎協の常任幹事と地域腎友会の役員の兼任でした。これは大変と思っていたら、案の定、毎月定例会が二回あり、その他、行事、行政への働きかけと会社プラスα(アルファ)になりました。この病気になったために余計、忙しくなってしまいました。これでは病気を辞めるしかない。そんなことはできないし。!
役員・幹事が上下組織の中でダブっていると進歩がなく先々、心配である。会員の方が積極的に参加し、役員を分担すると活性化するはずです。このままだと、昔に後戻りして、医療費自己負担、福祉助成金等にも影響してくると思います。この世の中どう変わるかわかりませんが、良くなることはないでしょう。今こそ頑張り時だと思います。
東腎協 1998年5月20日 No.123
最終更新日時:2001年4月15日
確認:K.Atari