私にとって悪夢のようなあの日から早いもので五年目を迎えようとしています。学生時代、野球で鍛えた体力と気力を些か過信し、将来に夢を描いた仕事に没頭の余り体調の異変を軽視していました。
家族や友人の「すぐにも病院へ」の忠告にも耳を貸さず自我を通した結果は救急車での入院でした。それも余りに頑固な私を見かねて内緒で通報するという強硬手段に出た息子が居たからこそのことでした。
私自身は救急車の中で意識を失い、それ以後三日間意識不明の状態でしたので全く知らなかったのですが、当直医の先生から「99%無理でしょう。覚悟してください」とまで言われたそうです。
その後意識は回復しましたが尿毒素が頭に上って、幻覚症状に悩まされました。それが奇跡的にも和らいだ頃、「人工透析導入」の説明を受け、自分自身の現実を嫌という程認識させられました。
「人工透析導入」によって私の人生で失う物の大きさを知るのに時間は掛かりませんでした。病院のベッドの中で来る日も来る日も自分の失くそうとしている物を想うと絶望感や喪失感で自暴自棄になっていく自分がありました。
そんな日々を送っている中で私の周りにいる人達、それは先生達、看護婦さん達、技士さん達、そして友人達、家族達です。
その人達との毎日の関わりの中で少しずつですが、私の感性が変わっていき、人生観も変わっていくように感じました。
特に心が動かされたのは、家族の私の命への深い慈しみと寝たきり状態だった私への看護婦さん達の手厚い看護を実感した時でした。
家族がこんな私をかけがえのない物として必要としてくれていたか改めて感じさせてもらい、看護婦さん達が仕事とは言え、縁もゆかりも無い私の汚物の処理をしてくれたり、毎日熱いタオルで全身を拭いてもらった時などは涙が出るほどの感激を覚えました。
また、前向きに生きることを諦めかけていた私にとって主治医からの社会復帰への激励や、熱心に自己管理の大切さを説得してくれた技士さん達の熱い想いが無かったら現在の私は有り得なかったと思います。
そのような人達の熱い心と行為に対して心のそこから感謝の気持ちが沸いてきました。
健康だった頃の私は少々自信家でともすれば自己中心的な生き方をしてきたようです。
しかし、この度の病気で大変多くの大切なものを失ってしまいました。しかしこの事で私は素晴らしく大きなそして貴重なものを得ることができたと思っています。
それは周囲の人達の愛や厚意に対して心からの感謝と感動を感じることができるようになったことです。
そしてこの感謝と感動する心をこれからの私の人生の原点にして行きたいとも思っています。
幸い現在は体調も良く嬉しいことに一応の社会復帰もできました。
多くの人達の願いと努力で再生できた命です。その人達へのご恩返しの気持ちも込めて同じ病気と闘っている仲間の人達の代弁者となれるように微力ではありますが、患者会(東腎協)の活動に「感謝」と「感動」の心を大切にしながら参加し続けていきたいと思っています。
東腎協 2000年1月25日 No.131
最終更新日時:2001年4月15日
確認:K.Atari