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リレーエッセイ 133

障害を持ちながらも強く、生きている大勢の仲間がいる

東海病院ひまわり会 小野 協子 東腎協常任幹事
小野 協子さんの写真
 親、姉妹、友人、職場の上司も同僚も私に対し、透析を受けている上に毎年のように入院を繰り返し、辛い人生を送っていると少なからず感じているようだ。しかし私としては、これがなかなか味の有る人生を送っていると思っている。
透析導入より4年半、他の慢性疾患もあり、毎年長期の入院生活を送り、また、シャントのトラブルや低血圧と苦しい思いも数多く味わってきたが、それ以上に他人の知らない経験ができたと思っている。何といっても病院という場所で多くの人と知り合い話すことができたということが、私に勇気を持たせてくれた。
私だけが病気で苦しんでいる訳ではない。そんな中で「今日も元気に一日を過ごすことができた。」と感謝の気持ちを抱けるようになれた。
子供の頃より私は、転んでもただでは起きないと言われ続けて来ただけあり、体を患っても新しい発見ができたので、まんざらでも無いと思っている。
 私が透析導入の為に某大学病院に入院している頃、同じ病棟に入院中の男性から「透析なんか受けるようになったら人生も終わりだよ」と言われた。
また、別の男性からは「自分も透析を始めた時は自殺しようと思った。しかし、妻や子供の姿が目に浮かび死ぬわけにはいかず頑張って来たが、家族の協力や病院の仲間のおかげで、今ではとても楽しい透析生活を送っている。患者会での宴会や旅行など仲間同志で明るい時間が持て幸福だ」と話してくれた。
導入まもない私にはどちらの話が真実なのか分からなかったが、少なくとも自分の人生がもう終わりだとは思えなかった。
確かに今後の人生を考えたならば不安が先に立つが投げ出す訳にはいかない。泣いたり喚いたり、人に当たることで健康な体に戻れるならいくらでもそうするが、結局は自分が惨めになるだけということは百も二百も承知しているのだから、歯を食い縛り病気と闘って行くしかないと思えた。私のまわりの透析仲間も皆同じように病気と闘っていると思う。
 私は東腎協の常任幹事という大役に就任させていただいて3年目となったが、同じ常任幹事の方々には高齢の体に鞭打ち、不自由な足を引き摺りながらも患者会活動に参加している方も多く頭が下がる。
透析というハンディを背負っている障害者でもそれぞれの立場の中で活躍している人々が大勢いる。私より辛い経験を送った方々でも笑顔で患者会活動に精を出している姿を見させて頂くと本当に励まされる。
もし、この世の中で自分一人が透析を受けているならきっと自分の人生を悲観していたと思う。しかし、障害を持ちながらも強く生きている大勢の仲間がいるのだから、その仲間と供に明るい未来に向かっていきたい。
 この世に生まれた時は五体満足であり、障害者となった現在でも容姿端麗、頭脳明晰ときている私なのだから、今後も毎日、自分を叱咤激励し、強く明るく生きて行こうと思う。
 同じ透析を受けている皆様、一緒に楽しい透析生活を送るために手を取り合っていきましょう!!
どうぞ宜しくお願いします。
東腎協  2000年5月25日 No.133

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最終更新日時:2001年4月15日
確認:K.Atari