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リレーエッセイ135

透析と友達になって15年

会津 一  個人会員 東腎協常任幹事

透析者となって16年目に入った。透析導入の頃は先行きが不安であった。あと何年生きられるのか。職業はこのまま勤務できるのであろうか。妻子を抱えて生活が続けられるのか。いろいろと考えると眠れない日もあった。
今、私は元気です。この元気さは何か、元気を与えてくれたのは何か。考えてみた。それは次のような事から変革したと思う。

透析者は患者じゃない

私の場合、シャントを作って半年後に透析がはじまった。歩行困難、すぐ疲れ易く、立ち止まる。意欲のない頃、次の書物に出会った。
「これが透析療法です」太田和夫著。この中で、太田先生は透析をはじめることは腎不全患者が、義腎をつけた「人」になったことだと述べられている。
たとえ障害者であっても「自分は患者ではない」という認識が大切だと説かれている。
このように意欲的に生きよ。患者ではなく単なる透析者だと思えの言葉に勇気づけられ、平素、前進あるのみの姿勢で、明るく元気よく、笑いのある生活を目指すことにした。
今後もこの姿勢を保ちながら余生を過ごしていく考えである。

家族の愛に勇気づけられて

導入の頃から、きびしい勤務などによってまた、肺炎をおこしたりして勤務を辞めようかなと考えたことは何度もあった。上司からは無理をせず透析だけに励めといわれて、その気になりそうになったこともあった。
でも妻はそのような弱気になってはだめだとばかり、強気で通せと、上司にも電話して、今後も勤務を続けるからと、弱気になろうとする私を励ましてくれた。

その後、二度目の肺炎、脳梗塞を起こした際も強気の姿勢で乗り切ってきた。
透析は週三回を規則正しく行ない、水管理や欲求に負けない強い意志が必要です。 このような自己管理のきびしさは本人だけでなく家族も協力しなければならない。
本当に人生、二人三脚だとつくづく思う。今日まで生きてこられたことも、妻の暖かい心配りのお陰と感謝の気持ちでいっぱいです。

もちろん、自分ら家族だけでなく、医療面でのクリニックの適切な指導や配慮が行き届いていることも一因であり、学生時代からの友人や勤務先の同僚の援助にも大いに力づけられています。
いつも明るく、和やかな対応を目指し、東腎協の発展に寄与していく所存です。また、周囲の透析者のために、できる限り手を差し延べ、一緒に頑張っていくつもりです。

東腎協  2000年10月25日 No.135

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最終更新日時:2001年4月15日
確認:K.Atari