戻る

リレー・エッセイ143

親友の友情に支えられて

東腎協常任幹事(嬉泉病院ニーレ友の会)
富 山 光 子

 早いもので透析患者となって6年目に入りました。おかげさまで現在の私は大変元気で、とても順調な透析ライフを送らさせていただいております。

でも最初からこんなに心穏やかで、元気ではありませんでした。今の自分があるのも、親友の友情があったからこそなのです。 透析導入の頃は、ショックを受け、言い知れぬ不安と前途を悲観して、目の前が真っ暗でした。
それまで、人生に挫折することなく、仕事に遊びに充実した毎日を送ってきた私にとって、これで終わりとも思えるほどの出来事で、両親以外誰にも知らせず透析に入りました。

 この私が身体障害者だなんて、信じられませんでした。透析に入っても、不均衡症候群の症状が強く、頭痛や、吐気、だるさなどに悩まされ、つらい透析でした。 徐々に自分の殻に閉じこもり、ただ、毎日、病院へ通うだけの日々が続きました。

 それでも、半年過ぎた頃、症状も良くなり、栄養士の先生のすすめもあって、毎日、1,2時間歩くことにしました。同じコースを歩くと、季節の移り変わりが感じられるほど心が落ち着くようになりました。
そんな時、散歩の途中のあるスーパーで、小、中、高と一緒だった友達と偶然、出会い、休職していることが解かってしまいました。

 暇なら、親友だった友達を集めるからランチしようということになり、3人集まってくれました。何も聞こうとしない心づかいがうれしくて、自分の状況を話しました。
終わった時に「透析していれば生きていけるんでしょう。見た目何ともないじゃない」。「運転もできて、自由に歩け、普通と同じじゃない」と言われた時、目の前がパッと広がった気がしました。

 今まで、病人だと思って悲観していたが、知らない人には私は病人に見えないんだ。せっかく透析医療により生きている自分を大事にしなければという感謝の気持ちが湧きあがり、前向きに生きたいと思いました。 
 これを機会にと、その場で「琲麻会」(ヒマカイ)なるものを結成し、今では月1回の集まりを楽しみにしております。

 今から思うと私が変われたきっかけはこの友達との再会のおかげだと思います。
人生とは面白いもので、自分が前向きに変わり出すと、東腎協への参加のお誘いを受け、なにごとも一歩踏み出さないとと思い、大役とは知りつつも、お引き受けしました。それに今まで、いろいろな人に助けていただいた分、少しでもお役に立てるなら元気なうちに恩返ししておこうと言う気持ちもありました。

 良いことは続くもので、今度は念願であった仕事の話が舞い込んできました。職場の仲間にも恵まれ、透析も理解していただき、楽しく仕事をさせていただいております。
 これから透析を迎えようとしている皆様、きっと今までと違った素晴らしい人生が待っています。私たちと一緒に手を取り合って頑張っていきましょう。
東腎協 2002年5月25日 No.143
戻る

最終更新日時:2002年7月13日
作成:ATARI