リレー・エッセイ144
透析医療とともに生きて
東腎協常任幹事(羽村相互診療所タンポポの会) 野口 美津枝

 今年、東腎協は設立30年を迎えました。4月21日の東腎協の総会は雨に降られて、少し肌寒い日ではありましたが、盛況のうちに無事終了しました。

 私は今年で、透析17年目を迎えます。今となっては昔話となりますが、ヘマトクリットも17以下になって、ようやく輸血をしてもらえるような時代でした。糖尿病性腎症からの透析導入患者の5年生存率も低い時代でした。この17年間は死ととの背中合わせの日々もありました。透析導入時は、心嚢水(しんのうすい)の貯留と肺水腫があり、あと数時間遅ければ、この世にいなかったと言われました。また、出血性潰瘍で、意識不明になったこともあります。まだ、当時は、輸血の供給者も少ない時代で私に合った血液は半日も待たなければならない等のハプニングも多くありました。今では、造血剤など(腎臓から出るホルモン:エリスロポエチン:商品名エスポー、エポジン)の、開発・発展で輸血することも少なくなってはきていますが、当時では輸血が当たり前でした。
 また、C型肝炎も確定できず非A型肝炎、非B型肝炎と呼ばれていましたが、今の医療発達には目を見張るものがあります。この間の幾度とない輸血の中で、私は感染せず、現在に至っております。

私自身、東腎協の幹事は何年かさせていただいていましたが、常任幹事になって、今年で2年目を迎えようとしています。昨年の全腎協30周年記念大会(東京で開催)の時には、何もかもとまどうばかりで、ただ、言われたことを一生懸命にするだけでした。
 思い出深いのは、昨年の11月、常任幹事会の研修および懇親会で、神奈川県湯河原温泉に行ったことです。実は研修とはかなり、堅苦しいものと考えていて、息の詰まるものだと構えていましたが、同室のメンバーは5人で比較的年齢も若く安心しました。
 若いのに、透析歴20年以上の人もいて、独身、既婚者など、社会的立場の異なる人もいましたが、同じ透析患者同士の語らいの中で連帯感を感じ、通じ合うものも多くありました。研修の中でも、これからの医療について東腎協としての今後の活動目標等の話し合いもあり、充実した内容でした。その中でも医療制度は改悪の一途をたどるという恐れがあるということでした。

私たちの先輩が命と引き換えに勝ち取ってきた私たちの権利が今、現在、少しずつ崩れていっています。透析療法以外でも他科受診時の自己負担の増加、老人医療費の負担増加等、頭を抱える問題が多くあります。
 私自身、何もわからないまま、今に至っておりますが、東腎協誕生から今までの30年と同じように、これから先も、自分が置かれている現実を直視し、東腎協の常任幹事会と患者会の発展に努力していきたいと思います。

東腎協 2002年 7月 25日 No 144
戻る


最終更新日時:2002年8月31日
作成:S.KISHISATO