梅雨の晴れ間の昼下がり、病院近くの喫茶店にわざわざカラオケコンクールで受賞されたという、
大きなトロフィーとメダルを抱えた唐沢貞次さんが待ってくれていました。
背広の下にモスグリーンのシャツを着た粋なスタイルで、
とても七〇才とは思えないモダンなダンディーさで、終始にこやかにインタビューに応じてくれました。
☆四〇年間腎臓病で苦労
── 腎臓病には長年苦しまれたようですが。
唐沢 尿検査で腎臓に異常があると指摘されたのが昭和三五年、当時は慢性腎炎とばかり思っていましたが、実際はのう胞腎だったようです。のう胞腎は遺伝体質的なものがあるようですね。
三○年間酒、タバコもやらず、食事療法で頑張りましたが、一二年前いよいよ病状が悪化しまして、当時は多摩動物園でライオンバスの運転手をやっていましたが、毎日、気持ちが悪く、いつも船に酔っているみたいで透析導入となりました。始めて三年間位は透析に慣れず、終了後苦しくて、辛い思いをしました。
☆子供が成人していたのが不幸中の幸い
── 透析導入でご家族のショックは大きかったでしょう 。 唐沢 子供も成人していましたし、長年の腎臓病から、いずれは透析を導入するようになると、ワイフもある程度は覚悟をしていましたので、さほど大きなショックは無かったようです。
☆夫婦揃ってカラオケ三昧
── さて、 唐沢さんと言えば歌自慢で有名ですが 唐沢 透析導入後三〜四年間は体調が悪かった上に、退職後自宅と病院の往復では気が滅入ってしまうので、元々好きだった歌を本格的に勉強しょうと、いやがるワイフを連れ出してカラオケスクールに通い出したのが最初です。 その内ワイフも歌の魅力に取り付かれ、今では週に二日ほど夫婦で自宅近くの道場へ行き、思い切り唄っています。
☆高さ一メートル超のトロフィー直径二〇センチのメダルを持参
───随分立派なトロフィーとメダルですね。
唐沢 このトロフィーは古賀政夫さんの死後、彼を偲んだ記念コンクールで、二位となった時いただいた物。
また、メダルはビクター主催のコンクールで、「赤と黒のブルース」を唄い、最優秀歌唱賞をいただいた時の物。更に、その時の入賞者人のCDをこのように作ってくれました。
全日本アマチュア歌謡連盟主催のコンクールは最も大掛かりなもので、テープ審査にパスをした一〇〇人位が、一日中歌を競い合うのですが、参加者は北は北海道、南は九州・沖縄迄国内全土は勿論、南米ブラジルからも参加します。このコンクールでは三回入賞させていただきました。
コンクールは数多く行われていますが、最近は土曜日開催が増えたため、透析日とぶつかり出場の機会がめっきり少なくなりました。
カラオケは私にとってあくまで趣味ですから、透析日を変更してまで出場しないようにしています。
☆歌の発声、呼吸は身体に大変良い
───いつも 若々しく、お元気そうですね。 唐沢 歌を唄っているお陰でしょうか。現在は毎週水・金の二日、ワイフ同行で歌の訓練を行っています。三〇分レッスンを受けて、後は思いっきり、好きなだけ唄っています。私は酒もタバコもやらないので、歌だけが楽しみです。常に体調を整えて置かないと声が出なくなります。先日、一か月間入院した時には練習不足がたたって、全く声が出なくなりました。 歌を始めたお陰で、一層体調を気遣うようになったこと、人前で唄うことで、性格が前向きになったことが私には大きなプラスとなっています。
☆インタビューを終えて
「元々歌が好きだった私がカラオケに夢中になるのは当然ですが、始めは歌なんてとんでもないと、逃げていたワイフまでも、今では恥ずかしくも無く人前で唄っているのですから大声を出すことは如何に楽しいことか容易に想像が出来るでしょう。夫婦共通の趣味を持って前向きに生きることは極めて重要なことです」と熱っぽく話されていました。 どうか一日も早く、ご夫婦揃って入賞する夢を実現してください。 (文・写真共 清水)
東腎協 1998年7月25日 No.124
戻る最終更新日時:2002年8月22日