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会員さん訪問 72回

オーストラリア、ケアンズに透析センターを設立

小池内科患者会小池会 冨山久二 さん

今回の「会員さん訪問」は、ケアンズ透析センター(オーストラリア)を設立された小池内科患者会「小池会」の会員、冨山久二さんです。今年の二月、ケアンズのドクター、ナース、友人達がサプライズパーティーで透析一〇周年を祝ってくれたそうです。
現在は日本エヌエスシーの社長として、週末は東京、それ以外は大阪と忙しい毎日を過ごされています。ご本人の希望は自然が豊かなケアンズに早く帰り、毎日ゴルフをしたいそうです。

二〇代で尿蛋白。でも当時は問題にされなかった

―透析導入までの経過をお話ください。

冨山 五五歳の時、別にどこが悪いという訳ではなかったけれど、人間ドックを受けましてね。そこで尿蛋白を指摘されましたが、尿蛋白は二〇代から言われていて、当時は問題にされなかったですね。エコー検査では腎臓が四割萎縮していると言われました。食事の蛋白質と塩分に注意するように言われました。
ただ、血液検査では問題なく定期的に通院を指示されました。

―その間食餌療法はされていましたか。

冨山 いや、ほとんどしなかったね。その頃仕事で昼はゴルフ、夜は接待マージャン、そして年に一七〜一八回の海外出張と、とてもハードでしたからね。かなり体を酷使していました。
しかしとうとう五八歳の一月にクレアチニンが少し上昇(一・八)を始めました。
月に一・〇くらいの割合で上昇し続け、翌年一月、マレーシアに出張中、全身がだるく動く気がしないほどになったんですよ。帰国後、定期診断で駿河台日大病院にいきましたが、腎不全食とウォッシュアウト目的で入院をするように言われました。
しかし、あの腎不全食は食べられんね、甘ったるくて。あれを食べても少しも元気は出ませんよ。
梶原教授が「冨山さんは社会復帰が必要な人なのに、今の状態から食事とウォッシュアウトで直った人がいるのかね。」と主治医を叱責しましてね。その場で透析導入が決まったんですよ。主治医は可哀相でしたが、やはり教授の判断は正しかったですね。 シャント手術は二月六日、シャントの発達を待って、二月二六日に透析を開始しました。退院後、小池先生のクリニックにお世話になることにしました。

退職後は外国に住みたい

―なぜケアンズを選ばれたのですか。

冨山 一九九四年トッパンムーアの副社長時に退職しました。海外で住む場所を友人達と探し回って、ハワイ、カナダなど一〇ヵ所以上行きました。ケアンズは商事会社の駐在員の時、仕事で良く行っていました。
結局、その緑が多いケアンズが一番良いということになって、ゴルフも出来るしね、土地を買って家を建てることにしました。

国立病院に透析を断られ、家庭透析

―透析はどこでする予定だったのですか。

冨山 ケアンズの国立病院で受け入れてくれるはずでしたが、家が出来上がる前に、地元の患者で一杯になったので、受け入れられないと言ってきました。 家に機械を入れて透析をするしかなく、浄水機やRO装置を入れて、マニュアルにそって勉強して、テストにもパスし、家族が一人居れば透析を家庭で出来るようになりました。

ケアンズの良さを日本人患者にも

―ケアンズ透析センターを開設した経緯を教えてください。

冨山 自宅で透析をしていると、日本から透析の問い合わせが入るんですよ。それなら、風光明媚なケアンズで観光が出来て、透析も出来るようにセンターの許可を取ろうと思いました。経営的には何とかなると思いましたが、結局財産をつぎ込んでます。でもいまさら止められませんからね、日本から来られる患者さんのために。
三ヵ月自宅で透析をしている間に準備して、九五年の六月にケアンズ透析センターを開設しました。

―日本の透析病院と違いはありますか。

冨山 透析は問診表の通りに、ほとんど日本と同様に行いますが、ケアンズでは透析中に景色を楽しんでもらうために、ビルの一二階にセンターを作りました。海、山、緑がすべて見渡せます。
精神的には病人という意識を持たない様な設備、看護を考えています。家族にも弁当を出していますから、普段出来ない家族の会話をして欲しいです。

将来は透析クラブを作りたい

―透析についての考えを聞かせてください。

冨山 杖をついている人を病人と言わないですね。透析は杖と同じだと思います。だから私は透析患者でなく透析者です。4時間の透析時間も病人では居たくない。 将来透析中にマージャン、囲碁、将棋、あるいは会席料理を食べる、落語を聞く、そんなことが出来る「透析クラブ」のようなものを作るのが夢です。文化的教養を身につける時間にしたいですね。 生活の一部分として透析を考えたい。透析のために生きるなんて考えられないです。社会のためになる生き方をしたいです。

患者会はQOL向上のために

―最後に患者会については?

冨山 小池会はまだ出来たばかりですが、これからQOLを向上させる情報や活動を、たとえば海外旅行で透析可能な病院のリストを整備するとか、そうしたことを積極的にして欲しいです。

―長時間ありがとうございました。

<あとがき>

社長室でお話を伺いました。インタビュー中にも仕事の電話で的確に指示を出されていましたが、とにかく決断が早い方でした。常に前向きで人生を考えている姿勢が印象的でした。本文には載せなかった面白い話もたくさん聞け、話題の豊富さにもビックリしました。

(文・押山、写真・生井)

写真キャプション

なまえ : とやま ひさじ
出生地 :バンクーバー(カナダ)
透析導入年月日:1989.2.26.

東腎協 No.130

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最終更新日時:2002年8月22日