戻る

会員さん訪問73

自立して社会に貢献を

湯島腎友会会員  持田 そのみ さん  透析導入三ヵ月

自立して社会に貢献を

 今回訪問させていただきました会員さんは、順天堂大学(湯島腎友会)で透析を導入されて、まだ三ヵ月の持田そのみさん二八歳です。まだ、始めたばかりなのですが、安静療法の間止めていたお仕事もこれから専門学校に通った後に就職する計画を進行中だそうです。そのために、病院の近くに引越されるそうで、明るく前向きに生きておられる方です。

乙仲業で活躍

透析に至る経過は、どうだったんですか?

持田 小学五年生の時、急性腎炎を患らって、入院・加療で一旦完治したつもりでした。その後、働いていて、過労が重なったせいか気が付いたときは、だいぶ悪くなっていました。二年前から安静療法になったのですが、今年の月頃、急に悪化して、緊急透析を経て導入になりました。

お仕事は、なにをなされていたのですか?

持田 乙仲業(おつなかぎょう)といって、海運関係で国内の船による輸送を扱っています。荷主さんの要望にそった船の手配をするのが仕事です。最初は、事務員の募集で入ったのですが、人手が足りないので、営業の仕事も手伝っていました。

そのころの生活はどうだったのですか?

持田 この業界は、男ばかりで最初は苦労しました。現場の人には若い女性ということで、信頼を得るのに苦労しました。また、突然の出張が入ったり、夜、会社の人と飲みにいった帰りも徹夜近く仕事をして、朝は通常通り出社することもありました。
しかも、女性ということで、あまり夜勤をしてはならないことになっているので、タイムカードは、早く押して残業にならないようにしていました。

かなり、ハードな仕事ぶりですが、会社の定期検診で腎臓が悪くなったことはわからなかったのですか?

持田 どういうわけか、知りませんが、検査ではわからなかったのです。

若い人は、成人病検査も血液検査などは義務でないので、わかりにくいかもしれませんね。では、どのようにして病気が発見されたのですか?

持田 ちょうど、職場を変ろうとして、会社を退職して、休んでいた頃、偏頭痛に悩まされていました。検査をしてもよくわからないので、昔のことを思いだして、腎臓の先生に診てもらいました。結局、頭痛のほうは、精神的なものらしかったのですが、慢性の腎炎が見つかったのです

体重が八キロも増加

その後、透析導入まで、どのように推移したのですか?

持田 腎炎の方は、今年の6月頃まで、どうということもなかったのですが、別の病気で入退院を繰り返していました。その頃、体調を崩して、使用した薬のせいだと思うのですが、一気に悪くなって、普段の体重より8キロも増えてしまっていました。それでも尿は出ていたし、体調も変りないので、気にしませんでした。でも、椅子に座った時に、背中が「ぶよっ」とした感じになったので、診てもらったら、即透析でした。

シャントは、作成していたのですか?

持田 それが、本当に急だったものですから、予定ではまだまだで、先生もその必要がないとのことでした。前述した薬も使用する前は大丈夫だろうとのことでしたが、私の腎臓にはあわなっかたようです。そこで、シャントが定着するまで「ダブルルーメン」という動脈一ヵ所の穿刺で行う方法で血液透析を開始しました。

現在は、落ちついてきているように見受けられますが、お仕事についてはどう考えれられていますか?

持田 前の仕事も大変やりがいがあって好きですし、経験もあってできればやりたいのですが、急な出張もあって透析の関係で難しいです。病気になって、自分のことで親身になってくれるスタッフをみていると、病院関係で働きたくなりました。最初は、看護婦も考えたのですが、今からだと自信がなくて、医療関係の仕事を目指しています。その勉強と透析のために近々病院の近くに引越しを予定しています。

今を積極的に生きたい

東腎協は、どこでお知りになったのですか?

持田 まだ、どのような組織なのか、自分はどんな団体に入ったのかよく分ってないのですが、東腎協の北爪副会長が同じ病院の患者会なので誘われました。その後、「青年部」からも声がかかるは、今回のインタビューはあるは、どうなっているのかな?というのが正直なところです。最初誘われた時、「患者会」は、何か、患者同士の慰め合いのような暗いイメージもあったのですが、それは入ってみなければ分らないことなので、勧められるまま入会したのです。ただ、東腎協や青年部に入った意識は、無かったのですが、いろいろお話しがあって私はいったいどこに入ったのだろうかな?と思っていますが、これからおいおい勉強していきたいと思います。

今後の抱負はないですか?

持田 今は、自立して生活できるように、透析しながら専門学校に通い、早く就職して社会に貢献したいと思います。個人的には、将来どうなるか分らないので、あまり先の不安材料より、今を積極的に生きるよう努めたいと思っています。先の希望がないようなことを言う人もいますが、現在、透析をしてみて殆ど問題が出ないので、それは、心の持ちかたしだいと思いますので、そのあたりは、楽しくいきたいと思います。また、病院には若い方がいらっしゃらないので、「青年部」の活動にも参加していきたいと思います。是非ご指導のほど宜くお願いします。

● 取材後感想

最初に、待ち合わせ場所を決める際に、「車でどこまでもいきます」とのことで、活発な方だなと思いました。実際会ってみて明るい活動的なお嬢さんでした。話を聞いていると、男顔負けの仕事ぶりで、昔の自分(今もその気が多少ありますが)のようだなと思いました。考え方も前向きで今後、公私にわたって元気に活躍されるものと推察します。

(文・久保、写真・生井)

東腎協 2000年1月25日 No.131

戻る

最終更新日時:2002年8月22日