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会員さん訪問75回

若さと行動力をもとに医療事務で社会復帰

鈴木智美 さん グループ町屋駅前クリニック

 透析導入後、医療事務の資格を取り、先生のご理解とご協力無くしてはできないことですが、通院病院に勤務しています。また、患者会設立の準備に力を尽くし、趣味はインターネット、サンドブラスト(ガラス工芸の一つ)、ペン字と多岐にわたる若さと行動力の会員さんです。

Q 月並みですが現在に至るまでの腎臓病との付き合いについてお話ください。

鈴木 高校卒業後、銀行の事務職を経て、宝石関係の仕事についていました。宝石のデザインから販売まで、小さな会社でしたが、とても、 充実した仕事でした。そんな中、二六歳頃でしたが、足のむくみに悩むようになり、一年後には、強度の頭痛が現れ、都立駒込病院を受診、腎機能の異常が認められたために、仕事を休み、治療に入りました。

治療に専念のため退職

 学生時代から、病気とは縁がない生活をおくっていましたので、腎臓病という診断は青天の霹靂と言えるほどに、衝撃の大きいものでした。腎臓病に対する知識が薄かったため、いずれは、復職が可能と考えて、食事療法を初めとし、自分なりに努力を重ねましたが、検査を続けた結果、慢性腎不全の診断を下されました。治療に専念するためにも正式に退職をしました。

 家族の協力、友人の支えなどもあり、通院、治療に励みましたが、強度の貧血を含め病状は改善されず半年後の平成10年、1月8日に透析導入となりました。時期を同じくして、父親も体調を崩し、退職、入院という我が家の生活そのものが、記有望するという危機に陥り、住宅ローンなど金銭的な面からも何とか脱出しようと私自身随分焦りました。

生死をさまよう

 とにかく、病状を安定させようと強く祈り続けましたが、自分の体でありながら、思うようには調整はできず、透析導入3ヵ月で、小腸出血を起こし、入院しました。何とか退院できたものの、わずか、1カ月後に、今度は大腸出血で生死をさまようまでとなり、再入院となってしまい、一時は自分の人生を悲観しました。

 しかし、父親も回復し、母親、妹による家計の支えで、一家の最悪の事態を回避できました。また、多くの友人の精神的な励ましにより辛い闘病生活を乗り切れたと思います。当時を思い出すと、本当に、両親、妹、友人に感謝せずにはいられません。いつもその気持ちを大切に抱きながら現在の週3回の透析を受けています。

Q 透析を受けている現在の生活はどのようですか。

鈴木 現在、自分自身が透析を受けている町屋駅前クリニックで医療事務の仕事につきながら週3回の透析を行っています。透析導入後は、居住区内の別の病院で透析を続けていましたが、主治医である倒立駒込病院の長い先生が平成11年5月に透析専門のクリニックを開業したのを機に、転院しました。 先生の勧めと、私自身も将来を考え、医療事務職の資格を取得し現在の職務に就きました。

悩みを分かち合う

 クリニックでの仕事は私が考えていた以上に収穫の多いものでした。それは、多くの患者の方々の生の声を聞けるからです。私が透析患者ということで、先生や、スタッフの方に離せないことなども、不断の雑談の中で話してもらえます。日常生活の一部を垣間見ることもできるので、とても、勉強になりますし、励みにもなります。

 なにげなく、話していることでも、高齢者の笑顔を誘ったり、お互いの悩みを分かち合うことで、私自身の生活を潤すことができます。まだまだ、微力ですが、クリニックの先生や、スタッフの方々と患者の方々の間をつなぐ役割ができればと考えています。

 新しいクリニックということと、先生、スタッフの方々の、患者本位と言う考え方を生かし、クリニックの全員が一丸となれる体制を作る一部でもお手伝いできたらと思っています。

Q 現在取組んでいること、また、希望していることはありますか。

鈴木 本年の5月に発足しましたクリニックの患者会を早く、軌道に乗せたいと思っています。

情報を患者会に還元したい

 私自身が、クリニックの事務職ということで、患者会の中心的な立場での活動はできませんが、幸いに、会長、副会長に適任な方がいらして、快く、役職を引き受けてくださったので、患者会の運営を開始することができました。

 私の患者会での役割は、東腎協での勉強会や催しものに、できる限り参加し、情報や知識を取得して、我がクリニックの患者会に還元することと考えています。

 まだ、手探りの状態ですが、私にも何かできるのではないかと思っています。

 以前、働いていた宝石関係の仕事や現在、習っているペン字、サンドブラスト、インターネットなどをかつようして、私なりにいろいろなことに、チャレンジしようと夢を広げています。また、友人が取組んでいる介護事業なども非常に興味深いことなので、ぜひ、勉強していきたいと思っています。

 自分の若さと、行動力を活かし、今後も、多くの仲間との活動に力を注ごうと考えています。

あとがき

 全く、普通の健康な方と変わらない、とても、明るく、キュートな女性でした。自分自身の力を精一杯出して、毎日を生きている、瞳の輝いている方でした。

(文・小野 カメラ・生井)

東腎協  2000年7月25日 No.134

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最終更新日時:2002年8月22日