今回の会員さん訪問では、透析 患者同志で結婚し、現在、夫婦で 協力し合いながら、整体院を経営 している宮岸克成、雪子夫妻を取 材しました。お二人で昨年九月 に、京王線、笹塚駅前のマンショ ンの一室に開院した、とても、清 潔な、整体院を訪問しました。
なまえ・みやぎし かつなり 透析導入年月日 1987年 |
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なまえ・みやぎし ゆきこ 透析導入年月日1988年 |
透析導入後に結婚
―お二人は、結婚四年目とのこと ですが、お二人とも透析導入後の 結婚だったのですか。
克成 二人とも透析導入後に知 り合い、透析患者同志として結婚 しました。
―お二人は、それぞれ、どのよう な経緯で透析導入となったのです か。
克成 私は現在三四歳になります が、一三年前の、二一歳で透析導 入となりました。当時、私は警備 員の仕事に就いていましたが、夜 勤の連続で、体への負担が大きく 自分自身でも無理をしている事が 解っていたのですが、仕事を続け ていました。 そのような毎日を送っている中、突然、体の異常を感じ通院した時に は、慢性腎炎と診断され、そのまま 透析導入となりました。 本当に、緊急の透析導入でした し、それまで、全く透析に対する 知識も無かったので不安も大きか ったです。
雪子 私は、透析歴一二年です。二 四歳で透析導入になりました。 二〇歳頃から一般事務の仕事に 就いており、上司、同僚にも恵ま れて楽しい日々を送っている中、 体調の不良を感じ医師の診断を受 けたところ、慢性腎炎とのことでした。その後は、仕事を続けながら通院と治療に専念しました。 しかし、発病より三年後の平成 元年に、血液検査の結果が最悪の 状態となり、ついに透析導入とな りました。慢性腎炎で通院してい たので、医師より透析についての 話を聞いていましたし、いずれは 自分も透析を行う体になると解っ ていましたが、一日でも、導入を 遅らせたいと努力を重ねてきたの でショックは大きかったです。
―透析導入後の生活では、何か変 化がありましたか。
克成 私の現職であった警備員の 仕事は、時間も不規則の上、体力 も必要とする為、やむなく退職し 透析を続けながらできる仕事に就 く事を考え、整体師の資格を取得 する決心をして、整体師養成の専 門学校に入学しました。
辛かった日々を越えて
しかし、両親から金銭的援助を 無心できる状態では無く、自分の 貯金も学業終了迄の二年間を補う だけのものが無かったので、フラ ンス料理店で学費を稼ぐための皿 洗いのアルバイトを続け、何とか 食い繋ぎながら整体師の資格を取 得しました。 現在振り返っても、あの頃は辛 い毎日でした。透析患者として体 を癒さなければならないと思う反 面、整体師の資格取得のために何 としても学業を続けなければなら ず、アルバイトに精を出し体調に まで気配り出来ない日も多かった と思います。 幸い、透析導入後は、とても体 調が良く、無理を続けたにも関わ らず、何の支障も無く整体師の資 格を取得できました。資格取得後 は、整骨院に就職し、周りの理解 と協力に支えられ、整体師として の仕事に励んできました。
雪子 私は透析導入後は、とても 体調が悪く、仕事を継続すること ができず自宅で療養に専念してい ました。何とか、一年程でアルバ イトに就ける状態とはなりました が、やはり、空しさを感じる毎日 でした。
文通コーナーで友達に
そんな毎日の中、全腎協の機関誌に掲載されている文通コーナーを 通じ、同年代の透析患者のサークルを知り、私もそのサークルに加入する事により同年代の透析仲間と知り合える事ができました。 サークルに加入後は、多くの仲 間と透析については、勿論ですが その他の悩みなども話合うことが でき、とても明るくなりました。
克成 私は当時サークルについて は何も知らず、また、病院にも同世 代の患者がいなかったので、孤独 を感じる日も多かったです。その 上、整骨院に就職後、白内障の手 術を受けるなど現在、振り返ると よく、耐えていたと思います。
―お二人が結婚に至ったのは、ど ういう経緯ですか。
克成 私も、東腎協の会報を読み 透析患者のサークルに加入し、現 在の妻と知り合いました。サーク ルの会合で何度か、顔を合わせま したが、初めは、全く、意識もし ませんでした。
雪子 私も、主人は、眼中になか ったのですが、主人を含む仲間数 人とドライブに行き、その後、二 人で付き合うようになり、知り合 ってから、四年後の平成八年に結 婚しました。 ―結婚するには、何か障害があり ましたか。
雪子 お互いに、三〇歳を過ぎて いましたし、特に、身内からの反 対もなく、すんなりと結婚しまし た。
―結婚後の生活は、どのように送 っていますか。
克成 私は、整骨院に勤務し、妻 は専業主婦として、家事に専念し 互いに透析を受けながら、松山千 春のコンサートや、観劇など、共 通の趣味を楽しんでいました。
雪子 二人とも、透析患者同志で お互いの、体をいたわり合えるし とにかく、いつも明るく、楽しく 生活しようと思っています。
勤務先倒産で独立
克成 本当に順調な結婚生活でし たが、昨年の平成一二年八月に勤 務先の整骨院が倒産し、収入源を 絶たれてしまいました。他の整骨 院で働く事も考えたのですが、妻 の勧めもあり、昨年九月より、自 宅近くの、笹塚駅前に、整体院を 開業しました。 マンションの一室で始めましたが、家賃、器材購入などに、百万円程の出費がかかり、貯金は、無くなってしまいました。 しかし、妻が、新聞の折込広告 や、診察券をパソコンで作成して くれたり、整体院での助手を務め てくれているので、大変に助かっ ています。
雪子 お年寄りの方が、多いので、 待ち時間などに、一緒にお話が出 来て、私もとても、楽しいです。 来院下さる方に、満足いただけ るように、二人で力を合わせて行 きたいです。
克成 まだ、開業から、間も無く、 収入も家賃程度ですが、今後も、 夫婦で協力し、整体院経営を成功 させる努力を続けるつもりです。
とても明るく、爽やかなお二 人でした。今後も、多くの方に 必要とされる、整体院経営に励 んでいただけるように、応援し たいと感じました。
(文・カメラ 小野協子)
東腎協 2001年1月25日 No.136
最終更新日時:2002年8月22日
作成:S.tokura