女盛りの20代に透析導入となりながら、それを乗り越え、絶えず患者会の影の立役者として、情報の伝達や会活動への協力といった地道な活動を献身的に行っている森山病院友の会の西野由紀子さん、秦マチ代さんのお二人のお話を聞きました。
なまえ:はたまちよ 透析導入年月日:1983年 |
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なまえ:にしのゆきこ 透析導入年月日:1980年 |
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20代で透析導入
―透析導入の状況は
西野 25才の時、膀胱に腫瘍が出来て、その手術をした時、腎臓に奇形が見つかりました。
その後も普通の生活を送っていましたが、結婚後2〜3年して、気が付かないうちに透析導入となってしまいました。そしてプリモというホルモンを打ったため、男性化して、声は変わっちゃうし(西野さんのハスキーボイスは魅力的です)。もっと良い声だった。胸は小さくなるで、だんだん女っぽさが無くなって男っぽくなってきた。
おまけの人生
秦 私は22歳で急性腎炎にかかりました。3年後慢性腎炎になり一度は死の宣告を受けました。2人の子供のためあらゆる民間療法や漢方医を取り入れ治療を試みて、10年頑張りました。
35歳の時、風邪が元で導入となりました。透析導入を言われて10年目のことでした。
最悪の状態を見ている看護婦さんが「生きていたの!。奇跡ね。透析はすばらしい*$8769」とびっくりしていました。今でもその言葉は忘れません。それゆえ、私の今は与えられたおまけの人生だと思っています。
女盛りをどうしてくれる
西野 私はおまけとは思えなかった。最初はヘマトが低いし、悲観しているし、これからの女盛りをどうしてくれる。子供を産めない。夫に悪いのではないか、離婚した方がいいのではないか、すごく悩んだ。
病院では、いろいろ注意され、何でこんなことを言われなければいけないのか。病気したからだ。と思うと情け無くなることもありました。
患者会創設
―患者会創設はどのように
西野 初めは、10人くらいで、忘年会でもやりましょうね。といった感じの単なる親睦会でした。東腎協へは機関誌が読みたかったので、入会はしていましたが活動にはまったく参加していませんでした。
今は幸せ
―二人が親しくなったいきさつは
秦 最初は透析中、吐きっぱなしでした。こんなの一生続けるのかと思った。そんな時、透析時間が西野さんと同じになって、一緒に帰るようになったんです。
西野 私は学生の時から劣等生だったから、病気しても先生の言うことを聞かなかった。帰りにラーメンを食べていたりしていました。
秦 食べたり、おしゃべりをして帰るようになって,元気がでました。それまで全然だめでした。飲めない、食べられない。それなのにどうして忘年会なんかをするのか理解できなかった。
西野 食べなくても、飲めなくても、コミュニケーションよ。て言っていました。
秦 参加することで、こういうことも出来るんだ,と勉強になった。
今の幸せは、スタッフと看護婦さん達、また、多くの患者会の仲間たちのおかげだと思っています。本当に感謝しています。
―患者会活動を率先して続けているのは何故ですか
西野 性格が、もともとおせっかい、というのがあって。それに動けるし、病院内では若い方だし、それなのに知らん振りは出来ない。人間として最低ではないか。やれるのにやらないなんて。やらなくても平気な人というのはどうしてそのように思えるのか分からない。私はただお手伝いをしている立場なので大きな口は聞けませんけど。
国会請願に参加
―東腎協の活動に参加するようになったのは
秦 森田さんがきて患者会が、すっかり変わりました。色々なところに引張っていってくれて、勉強になったし、いい出会いも作ってくれました。
西野 まず、秦さんが森田さんに誘われて東腎協のイベントに出て行って。私にもいっしょに行きましょ。と誘われ、腎キャンペーンに引っ張られていった。それからです。
西野 今年は国会請願に誘われ参加しました。何十年も知りませんでした。こういう雰囲気で行なわれることが。足の不自由なお年寄りが足を引きずりながら署名の束を持って歩く。
一般の会員さんにはこのように行なわれている事が分からないので,そのことを今度は伝えられる。
今回誘ってくれた秦さんには本当に感謝したい。
素晴らしい出会いがあった
―病気になって得たものは
西野 小さなことでも良かったと思えるようになったこと。
秦 私は透析していなければ出会うことの無かった人たちとの交流で、人間的に成長したこと。今日のようなめぐり合わせもね。
西野 遊んでもきたしね、みんなと旅行に行ったり。年齢制限も無いし、誰とでも、15、6歳の人からお年寄りまで、考えも違うし、喧嘩もするし。けど、家族以上の付き合いもしてきました。
透析医療に望むこと
―最近、思うことは
西野 私も20年目なのでHDFがやりたいと思っていますが、まだ、そういう環境になっていないように思います。
秦 自分達の身体にとってより良い透析治療を選ぶことができればと思っています。
―将来のことは
西野 将来なんて考えたことは有りませんでした。今日も生きていた。その繰り返しです。
秦 今を大切に生きていたいですね。
―どうも有難うございました
(あとがき)
お二人は自分では劣等生といいながら、実は大変な研究熱心な方たちで、透析に関する知識や、患者会活動に関する知識は相当のもので、同じ患者会なのでいつも勉強させて頂いています。
今後も、この方たちのような先輩会員さんにご指導頂いて更に、命と暮らしを守る運動を進めて行きたいと思いました。
(文・カメラ 戸倉)
東腎協 2001年5月25日 No.138
最終更新日:2001年5月3日
確認:Tomoko Ono