会員さん訪門 第80回個人会員
佐々木勝利さん
透析導入年月日:1990年
社会人3年目に突然、透析導入
現在は臨床検査技師をめざす
今回は、内部障害者更生施設清瀬園に入寮し、臨床検査技師の資格取得を目指している佐々木さんに東腎協事務局までおいでいただきました。目標に向い、着着と歩んでいる方には、確固とした自信があり、お話しを聞いていても、その志が伝わってくるようでした。
―透析導入前までの経過は。
佐々木 福祉の専門大学を卒業後、新入社員の時はかなり無茶をしていまして、残業はじゃんじゃんやっていましたし、残業が終わってから朝まで飲みに行って、そのまま2時間ぐらいしか寝ないで出社したりしてました。
そういう生活をしている中で入社3年目の事です。初めは単なる風邪だと思って、会社は休まず病院も行かず普通に過ごしていました。ところが、2ヵ月たっても治らないので、その時点で初めて診察を受けたところ、クレアチニンが既に5・5
で、透析まで時間の問題ですと突然、宣告されました。
それまで多少血圧が高い程度で、慢性腎炎と言われたことは無く、腎臓が悪いなどという自覚は全くありませんでした。それから食事療法を直ぐに始めましたが、1年半で透析導入となりました。
―食事療法はきちんとしましたか。
佐々木 しました。几帳面なぐらいに。でも体のほうが辛くなってきて、会社が終わって家に帰って食事して、もう8時には寝ないと次の日は仕事になりませんでした。そういう状況だったので僕の方から透析導入を先生にお願いしました。導入直前のCr(クレアチニン)が11、BUN(尿素窒素)が80で、むくみもありましたが、とにかくだるかったです。
透析導入後も仕事は順調
―仕事はきつかったですか。
佐々木 人事の仕事をしていたのですが、威勢の良い新卒の若い学生相手で、いろいろな質問にも答えなければいけないし、50〜100人を前に会社のアピールをしたりで、思った以上に疲れました。透析になってからは採用からはずれて人事管理に変わり、社会保険とか労働保険の事務作業をメインにしていました。
仕事も面白く、社長を初め上司も同僚も透析に対する理解がありましたので最初は会社を止めようなんて全く思っていませんでした。
―仕事が変わって挫折感はありませんでしたか。
佐々木 そういうのはないですね。好きな仕事でもありましたから。
医療ソーシャルワーカーを専攻
―会社をやめて医療従事の道に進みたいと思った動機は。
佐々木 大学時代は医療ソーシャルワーカーの勉強を専攻していました。その時透析患者さんの実態調査のお手伝いの仕事があり、3年生の1年間、町田にある透析施設に通いました。その時の調査をそのまま卒論のテーマにもしました。
また、辞めた会社の母体は建設不動産だったのですが総合生活文化企業的なことも将来は目指していて地域に密着し
て、住まいから墓場まで、福祉とか医療に係る関連会社のグループを作っていきたいというビジョンがありました。
ですから、将来はそのような仕事に係らせて下さい。ということで入社したのですが、目の前の仕事はこなさなければいけないので畑違いですが、宅建の資格を取得したりしました。でも医療の道は捨てきれなかったので、有給を取って、労働省の心理相談員や、トータルヘルスプロモーションプランの講習を受けたりしていました。
透析導入8年目、30歳に転機
佐々木 透析導入後8年が経過し、30歳を過ぎた辺りから、ふと自分は、このまま、60歳までサラリーマンで本当に幸せな人生なのか。自分の人生を変えるには年齢的にこの辺が最後のチャンスかもしれない。と思うようになりました。
そして、社会人編入の医学部や、医療関連の専門学校から願書を取り寄せたりして、どうしようか悩み続けていました。
清瀬園との出会い
佐々木 そういう時に、たまたま機関誌『ぜんじんきょう』bP96に清瀬園の記事が載っていました。臨床検査技士コースが内部障害者を対象に全寮制ですけれど生徒を募集してました。
この清瀬園との出会が決定的な決め手となりました。この学費ならいける33歳でした。
平成10年の10月に問い合わせして見学にいって話を聞いて、面接と小論文の試験を受け、そして年内には合格が決って会社の上司に3月までに退職したいと相談をしました。
目指すものが現実に
―今の心境は。
佐々木 すっきりしています。やりたいこととやっていることがぴったり重なってきているので。
いつも2本の線路を走っていなければならなかったのですが、今は1本なんですね。自分の目指すものが明確なんです。
卒業生の中にも、大学病院で技師長になったり、講師になった方がいます。
どの方からも「自分が障害を負っているぶん、患者さんやその家族の気持ち、将来に対する不安というのを一番感じて
あげられるように、みなさんもなってください」と言われます。
正に私が考えていたこと同じことで、同じ思いであることがわかり、なおさらです。
―現在の目標は
佐々木 目の前の目標は来年2月の卒業試験に合格し、3月の臨床検査技士の国家資格を取得することです。
欲を言えば4月から働く病院がみつかることです。
背水の陣で臨む
―記憶力の衰えを感じませんか。
佐々木 感じます。それと、集中力、体力が落ちてきます。若い子が試験前に1夜づけでやっていることをこっちは、1週間前から繰り返し刷り込まないと覚えられないです。
背水の陣で臨んでいます。もう後ろを振り向けないですから。前だけみて、目の前の試験に合格するしかありません。今はこのことしか考えていないです。
―今後、東腎協とはどのようにかかわっていきたいですか。
佐々木 同年代の方も多いので、私でお役に立てることがあれば、微力ですけれどもお手伝いできればなと思っていま
す。
また患者会と医療側の相互理解のための橋渡し的な仕事も演じられればと考えています。
〈あとがき〉
静かに淡々とした語り口でしたが、内に秘めた情熱は、感動的でした。
正に背水の陣で、今は大変に苦しい時期だと思いますが、これを乗り越え、夢をぜひ実現されるよう、見守りたいと思います。
(聞き手小野 文・カメラ戸倉)
東腎協 2001年10月25日 No.140
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最終更新日時:2001年11月18日作成:ATARI