会員さん訪問第83回

娘が14歳になった今
  親子で楽しむことができる



国分寺こやま腎友会
佐々木恵子さん
透析導入年月:1980年(昭和55年)6月

 今回は、五月晴れの中、佐々木恵子さんを訪問しました。東腎協の多摩ブロック長の小川嗣雄常任幹事(以前おなじ病院)も同行しました。佐々木さんは、「東腎協」bV4、1988年10月号で訪問した会員さんです。その年に生まれたお子さんが高校受験と聞き、無事に大きくなるまでの母としての思いを伺いました。
―佐々木さんのお嬢さんは来年、高校受験とのことですが、お嬢さんの成長をどう感じますか?
佐々木 私は13歳で慢性腎炎と診断され、いつも背中に重いものを背負っていて、恋愛をしても将来も見えない中、子供を産んで育てるなど考えられませんでした。
 しかし、透析患者でありながら幸運にも子供を持つことができ、今まで知りえなかった世界に身を置くことができたことは、本当に幸せでした。とにかく、夢中で子育てをしてきました。
娘の健康に感謝

 娘が、14歳になった今、いろんな話をしたり、一緒に出掛けたり、やっと親子で楽しむことができる頃になって来た感じです。けれども、子供の健康状態はいつも、気にかかり、学校での尿検査も結果が出るまでは気が休まりませんね。特に私が病気になった歳の13歳を健康で過ごすことができ、一安心しています。14歳の現在まで、大病もなく元気なのは、神様が授けてくれた健康だと本当に感謝しています。
透析は希望だった

―透析歴23年とのことですが、導入時の生活はどうでしたか。

佐々木 24歳の時に病状が悪化し、仕事を辞め、一年後の25歳で導入となりましたが、慢性腎不全の一年間に透析の勉強を行い、心構えも出来ていたので、今よりは体も楽になり、食事制限も緩くなるであろう透析を始めることは、私にとって、希望でした。
―透析が結婚や出産の支障にならなかったですか

佐々木 30歳で結婚しましたが主人とは導入前からの付き合いで病気のことも受け入れて、お互いの両親も理解し、支障なく結婚できました。出産は、当時は全国でもまだ、10例位しかなく、その上元気に成長しているという報告も少なかったので心配はありました。
 けれども、小川さんにも相談し、友達にも励まされ、可能性が一つでもあれば、前へ進んでみようと出産を決意しました。
 妊娠後、6ヵ月目までは普通の妊婦の方とかわりない生活でしたが7ヵ月目に入院し、その後は安静な状態で24時間、点滴を行い、毎日透析を続けるなかで、かゆみや不眠になやまされました。8ヵ月を過ぎたところで、帝王切開で出産しましたが、子供が小さかったこと以外、特に問題がなかったので嬉しさと共に安堵の気持ちでいっぱいでした。記憶というものは、大変だったことでも薄れてゆくものらしく、いまでは、夢の中の出来事のように感じています。
―透析を受けながらの子育ては、苦労も多かったのではないですか。

ヘマトが低くても気力で

佐々木 子供が幼い頃は、体力的にとても大変でしたね。透析後、へマトが17〜18でも、「自転車に買い物の荷物と娘を乗せ、傘をさしながら坂道を登って家に帰る」なんて今ではとてもできないことを気力でやっていました。
 また、学校に上がると、私が透析をしていることが子供の負い目にならないようにと行事などは透析日を変えてでも必ず参加しました。運動会には、朝5時に場所取りに行って、さらにお弁当の用意して1日応援してなど…体はきつかったけれど、私が楽しんでいました。自分でもずいぶん手をかけて育ててきた気がしています。
 そのせいか、娘は、私の透析を理解しているものの、元気だと思って、なかなかいたわってくれないところが、つらいところです。また、私の両親が近くに住んでいましたので、よく、助けてもらいました。たぶん両親がいなかったら無理だったかもしれません。両親には本当に感謝しています。
―これから恋愛や結婚を考えている若い方に何か助言を

佐々木 基本は自分の体を良い状態に保つことだと思います。これができれば何にでも挑戦してみてはどうでしようか。今は、透析患者の恋愛も結婚も出産も、可能性が高くなっているので、透析だけに眼を奪われずに積極的に、生きられると思います。そうすれば楽しいこともたくさんみつかるはず。私の場合は、子供を通し、健康な人ともつき合う機会もでき、また違う楽しみを体験できました。

透析仲間は大切

 患者会活動も確かに面倒なところもあるけれど、患者は自分一人ではないので、多くの人と知り合い、仲間を作って、情報を交換し、悩みを相談し、精神を安定することが、大切だと思います。昔から、透析患者の心理は変わらないはずで元気に生きるためには、同じ透析仲間はとても大切なものです。
 現在の私は、透析と家事におわれてしまう日々になってしまっていますが、家族や友達と食事ができる、子供と買い物や遊びに行ける、などの小さな幸せをかみしめています。
小川 私の導入時の主治医が「透析に入る前の人生がいくらあっても透析に入ってしまえば間係ない。透析に入ってからどう生きるかが問題なのです」と教えてくれましたが、まさにその通りですね。
―今後の目標はどうですか。

佐々木 娘の受験、両親への恩返しと、まだまだ頑張りたいです。そのためには、検査結果に気を配り、なるべく合併症が出ないように体を維持していくのが私の努めだと思っています。
 これからは、自分のことと家族のことの良いバランスをとり、元気にそして生きていることが楽しいという気持ちを持って、少しでも長生きできれば幸せです。そして、透析を受けられることに感謝する気持ちを忘れないでいたいです。


〈あとがき〉
 透析歴23年とは思えないほどに元気で明るい方でした。これからもご家族と頑張って、若者に希望を持たせてくれるでしょう。

(文・写真 小野)

東腎協 2002年 7月 25日 No 144 

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最終更新日時:2002年8月25日
作成:M.KOSEKI